社長日記

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2006年 12月


 2006年 12月31日(日) 晴れ
 ビジネスで「いつでもできる」というのは最も危険な考え方です。人は「いつでもできる」と言われると、頭の中で勝手に「今やらなくていい」と置き換えてしまいます。そうやって今できる仕事を後回しにすれば、スピードが遅くなるのは当たり前です。・・・・・吉越浩一郎(トリンプ・インターナショナル・ジャパン社長)
 2006年 12月30日(土) くもり
 自ら率先して日常の行動そのもので納得させる、これが指導者であって、家庭の主(あるじ)にしてもそうですよ。・・・・池波正太郎『男の系譜』
 2006年 12月29日(金) 雪
 友情にも、一期、二期、三期と季節みたいなものがある。第一期の青年時代には、互に前途の希望を語り、おのおの成功を期して助け合い、励ましあうようにする。つまり、その頃は、相手の弱点をつつかず、長所を長所として自覚するようにつとめることだ。第二期、40から50の壮年時代に入ると、仕掛けた仕事にも目鼻がつき、成功の域に近づいた時だから、今度は欠点や短所を遠慮なく諫めあい、仕事のやり方も厳正に批判する。ところが、第三期の老境に入ると、不思議と皆から褒められたくなる。このため、近づく連中は悉く甘言を呈するようになるし、そうでない者は遠ざけてしまう驕りたかぶった気持になる。そこで最も必要になってくるのが、真実の苦言を呈してくれる友人知己である。これがないと全く危ない。シーザーもナポレオンも秀吉も、晩年において失敗しているのは、諫言の友がいなかったからである。・・・・・松永安左ヱ門(電力の鬼)
 2006年 12月28日(木) 雨のち雪
 小さな事を軽く見てはならない。小さな事だと思って軽んじるのは自分の心を尊ばないということと同じだ。つまらないものは歪み曲がって映ってもかまわないというのは、鏡に対してもつべき正しい考え方ではない。つまらないものでも、きれいな鏡ならば善く映るのである。・・・・・幸田露伴『努力論』を読む
 2006年 12月27日(水) 雨
 花は半開を看(み)、酒は微酔に飲む。このうち大いに佳趣あり。もし爛漫(らんまん)ボウトウに至らば、すなわち悪境を成す。盈満(えいまん)を履むもの、よろしくこれを思うべし。【花は半開、酒はほろ酔い、ここにこそ最高の趣がある。もし開ききった花を眺め、深酒に酔いつぶれては、それこそ醜態の限りだ。満ち足りた地位にいる人は、ここのところによく思いを至らせてほしい。】・・・・・菜根譚(さいこんたん)
 2006年 12月26日(火) 曇りのち雨
 常に現在の時間にしっかりしがみつけ。私は現在に自己のすべてを賭けている・・・・・ゲーテ
 2006年 12月25日(月) 晴れ
 若さとは、社会の関わりの中で、常に頭をリフレッシュして切り替えができることです。それができなければ、年齢だけが若くても意味がない。逆に、切り替えが利く人は、ベテラン層でも若さを保っていると言えます。・・・・・小川修武(おさむ)三井ホーム会長
 2006年 12月24日(日) 晴れ
 人はその決心の度合いに応じて幸福である。・・・・・リンカーン
 2006年 12月23日(土) くもり時々雨
 どんな情報でも、そこには必ず伝達者の主観、取捨選択が入っている。そのようなフィルターなしに入ってくる情報は存在しない。私たちは主観を通過した情報の洪水の中で、絶えずそれを判断し、選択しつつ生きて行くことを強いられている。
 人間の価値は、情報判断能力にある。すこしでも指導的立場にある人は、その判断を公にし、それを主張し、実行して行く責任を持つ。情報はいろいろ持っているが、判断はできないというような人間は、指導的立場にある資格はない。決定できぬ会議は無意味である。そんなものの意見に従うことは、自ら自分の資格を放棄することである。・・・・・会田雄次『決断の条件』
 2006年 12月22日(金) 雨のちくもり
 神は、自然の中にいろいろな木を植えたように、人間の中にいろいろな才能を配した。それで一つ一つの才能は木それぞれと同じに、いずれも独自の特性と働きを持つようになっている。だから世界一立派な梨の木も、ごくありふれたリンゴを実らせる事はできないし、最も傑出した才能も、ほかのごくありふれた才能と同一の結果を生むことはできない。また、それだからこそ、自分の中にその種がないのに箴言を作りたがるのは、球根を一つも植えて置かずに花壇にチューリップを咲かせようとするのと同じくらい滑稽なことなのである。・・・・・ラ・フシュフコー『箴言集』(フランス文学者)
 2006年 12月21日(木) 晴れ
 人類は地球を守ろうといっているが、とんでもない。地球は人類がいなくなったって困らない。私たちが「地球をなんとかしなきゃならない」ではなく、「なんとかしてもらっている」。ありがたいと感謝して生きる気持ちが大切なのである。・・・(ノーベル賞授賞式の席で述べられる言葉)
 2006年 12月20日(水) 晴れ
 社会生活を送るうえで、常識は大切です。ただ、自分の仕事への姿勢とか人生に対する態度が、常識の範囲内だけにとどまるようでは、ぬきんでた創造性を発揮することはできません。・・・・・村上和雄
 2006年 12月19日(火) 晴れ
 人は、あるところでは卑劣に行動しながら、別のところで高徳に振る舞うことはできないのである。その些細な心の緩みやごまかしが、全体を蝕んでいくのである。人は騙せても自分自身は騙せない・・・・・松下幸之助
 2006年 12月18日(月) 晴れ
 私たちが、自分の生命に対して、真に深い愛惜の念を持ちえないのは、わが身が人間として生をこの世にうけたことに対して、真の感謝の念を持ち得ないからです。・・・・・森信三(教育者・哲学者)
 2006年 12月17日(日) 雨
 世の中に必要なものなら、きっと、世の中が拾いあげてくれる。だから、経営者たるもの、自分のやっている仕事が世の中に必要か、どうかをいつも厳しく見つめておらねばならない。・・・・・岩切章太郎(宮崎交通元相談役)
 2006年 12月16日(土) 晴れ
 一人の力で事業が成功することは絶対にない。 一人の力が他人の協力を得たとき、はじめて事業は成功する。 そして、協力が得られるのは、鋭さではなくて人格の力である。・・・・・清水雅(元阪急電鉄会長)
 2006年 12月15日(金) くもり
「葉隠」に「名利(みょうり)を思うは武士にあらず、名利を思わざるも武士にあらず」という言葉があります。これは、名利、つまり、自分の名声や地位だけを求めるのは武士の本分に反することで、実に嘆かわしいことだけれでも、しかし、全く立身出世を求めない人間も武士としては同じように嘆かわしい、ということです。何故ならば、地位があがれば、それだけ大きな仕事ができるからで、少しでも、よい仕事、大きな仕事を実現したいと思ったら、やはり、それにふさわしい地位を求めるのが本当であるからです。問題は、その地位を得るだけの実力を常日頃、養っておくことが大切なんです。・・・・・館林三喜男(リコー元社長)
 2006年 12月14日(木) くもり
「私」とは、食べ物を自分の方に強引に腕で引っ張っている姿だといいます。他人のことは無視した態度を表しているのです。私と比較して「自分」とは、天から与えられた分(天分、才能)に素直に自(したが)って生きることをいいます。よくお寺などに行きますと、「自是(じぜ)」という立て札がありますが、「是」とは是非の是であり、規則のことです。つまりお寺の拝観の際の注意点です。「自」は「したがう」の意味で、「この規則に従って拝観してください」というのが自是の内容なのです。・・・・・安岡正篤
 2006年 12月13日(水) 晴れのち雨
「裸で寒くないようにするには、どうしたらいいでしょう」というと、「からだ中を顔にすればいいんだ」という話があるが、私は、できることなら、生活のあらゆることを趣味としたい。小説を書くことも、私にとっては趣味なら、風呂場のタイルを磨くことも、スカートの丈をつめることも趣味でできるのである。そうすれば、生活全体が遊びともなり、同時に、かなり本気の、うまくゆけば、生命を賭けるという状態の一歩手前くらいの厳しい仕事にもなりそうである。・・・・・曽野綾子(作家)
 2006年 12月12日(火) 雨
 自分が、旧制一高の試験を受けたとき、無事試験も終って、帰ろうとしたが、西も東も分らないので先輩に頼んで東京駅まで送ってもらうことになった。ところが、その先輩が市電に乗ったとたんに眠りこんでしまった。先輩が起きなければ何処で降りてよいか分らない。といって先輩を起こすのも失礼だし、と迷いつつ電車が止まるたびに目を皿のようにして、心が落ち着かなかった。そんな後輩の気持をしらず、先輩はいびきまでかきだす始末。電車が大手町にさしかかった頃、パッと目を覚まして、涼しい顔で「おう、この次だぜ」と言った。「やはり、何も知らぬと苦労するということです。知っている先輩は何もかも心得ているから、いい気になって30分くらい寝てしまう。『知機心自閑』で、居眠りもできるわけです。人生もまた同じです。・・・・・岡崎嘉平太(全日空元相談役)
 2006年 12月11日(月) 晴れ
 尊敬の念をもたないという人は、小さな貧弱な自分を、現状のまま化石化する人間です。したがってわれわれ人間も敬の一念を起すに至って、初めてその生命は進展の一歩を踏み出すといってよいでしょう。・・・・・森信三(教育者・哲学者)
 2006年 12月10日(日) 雨
 思想さえしっかりしていれば技術開発そのものはそう難しいものではない。技術はあくまでも末端のことであり、思想こそが技術を生む母体だ。行動には常に動機があり、目的がある。動機が正義であり、目的が善であって、その行動だけが悪だということは人間にはありえない。・・・・・本田宗一郎(ホンダ創業者)
 2006年 12月 9日(土) 雨
「こう振る舞ったらよく見えるはずっていう計算って、空回りする。それよりも最も自分らしく自然体で臨んだ方がうまくいくと思うんです。それでダメだったら縁がなかったって、きっぱりあきらめるようにしています。」「できないことはない、と思う。結果的にできなかったとしても、やらないで後悔するよりは、やってから後悔する方が未来がある気がする。」・・・・・長谷川京子(タレント)
 2006年 12月 8日(金) 曇り時々雨
 愛は人をいやす。それを与える人も、受け取る人も・・・・・カール・メニンガー
 2006年 12月 7日(木) 晴れ
 愛情には一つの法則しかない。それは愛する人を幸福にすることだ・・・・・スタンダール
 2006年 12月 6日(水) 晴れ
 人作りは手作りです。最初の段階でとことん夢を語りかける。すると、創業の精神が遺伝子となって人に宿り、育ち、次の世代へ引き継がれていく。私が命を掛けた仕事とはそういうことだったんだと、最近、つくづく思うんです。・・・・・横川端(スカイラーク創業者)
 2006年 12月 5日(火) 晴れ
 生まれたばかりの時の人間の脳は非常にニュートラルで、好きも嫌いもないんです。ただ膨大な眠れる能力を持てる存在でしかありません。その時、親が愛情を注いで育ててやれば、お母さんっていい人だなとか、生まれてきてよかったなとか、非常に原始的なレベルで人生に対して前向きになっていくと思います。・・・・・櫻井よしこ(ジャーナリスト)
 2006年 12月 4日(月) 雨
 流るる水は腐らず、廻っている車はよごれぬ。人生は絶えざる変化である。停滞は退歩であり、堕落である。一瞬時も休まず、無限の進歩の一路を進むのが真面目な人生である。・・・・・中崎辰九郎
 2006年 12月 3日(日) 雨
 観世音菩薩を俗に観音様といいますが、観は私、音はあなたという意味です。観と音という二元が一元となって音声の世界、つまり外界を自由自在に見ることができる、それが観世音菩薩の世界なんです。自分というのは相手があって初めて自分なんだと言う感覚を忘れてしまってはいけません。命の尊厳さを認め合っていくことです。・・・・・森清範(清水寺貫主)
 2006年 12月 2日(土) 雨
 人間、どんなアホでも無教育者でも、一つのことを58年もやっておりますと、自然、自分の仕事に愛着もでてきますし、ひいては仕事を通じて、何とか、人様のおためになりたい。世間様にも認められたいという欲が出てくるのは人情というもんでっっしゃろ・・・・・桐竹紋十郎(文楽・無形文化財)
 2006年 12月 1日(金) 雨
 自由を意味するフリーの原語のゲルマン語「プリー」には「自ら属するもの」という意味があります。ですから、自由というのは「帰属」という一面があって初めて本当の自由を意味するんです。・・・・・中西輝政(京都大学教授)

2006年 11月


 2006年 11月30日(木)  雨のちくもり
 他を褒めることを知らぬ者、常に他を非難している者・・・・・換言すれば、他に満足しない者をよく観察するならば、吾々は次のことを知ることが出来る。即ち、彼自身が誰からも満足されていない人間であることを。【人間が耳にして最も愉快に思うのは、他人の悪口であるのにもかかわらず、人の悪口ばかり言いたてている人柄が、何処でもかしこでも皆の衆から嫌われ、鼻つまみ者になっているというのもまたもう一面の真実である。】・・・・・ラ・ビリュイエール「性格論」
 2006年 11月29日(水)  雨のちくもり
 およそ人間の幸せの中で、外から得られる幸せは二つしかない。一つは親、ことに母親が主で父親が従ですが、やはり親が優れた人物であったら、これはもう最高の幸福です。もう一つは生涯の師です。・・・・・谷沢栄一(関西大学名誉教授)
 2006年 11月28日(火)  雨のちくもり
 汚れた人間が敗北を恐れて踏み込もうとしない場所に、清らかな人間は平気で足を踏み入れ、いとも簡単に勝利を手にしてしまう。それは、自分のエネルギーを、より穏やかな心と、より明確で、より強力な目的意識によって導くことができるからだ。・・・・・ジェームズ・アレン『「原因」と「結果」の法則』
 2006年 11月27日(月)  雨
 自分が生まれて来たときより死に至るまで、周囲の人が少しなりともよくなれば、それで生まれた甲斐があるというものだ。・・・・・新渡戸稲造(明治の教育者)
 2006年 11月26日(日)  くもり
 私どもがいつも家族と一緒になって飲んだり食ったり、テレビを見たり雑談したりなどしていたら、この亭主はすぐにダメになる。そういう人は、きわめて通俗・低級な人間になってしまう。
 特に何か精神生活・人格生活を持つ者には、どうしても周囲から乱されない「斎」というものが必要だ。書斎の斎の字は、そういう意味を持っている。・・・・・安岡正篤『一日一言』
 2006年 11月25日(土)  くもり
 事業でも、力づくでやっておると、いずれ競争になって困難になる。事業が人間性から滲(にじ)み出た、徳の力の現れであれば、これを徳業という。事業家は進んで徳業家にならないといけない。また、その人の徳が、古(いにしえ)に学び、歴史に通じ、いわゆる道に則(のっと)っておれば、これを道業という。東洋人は事業だけでは満足しない。徳業にならないと満足しない。現代の悩みは、事業が徳業にならないで、利業・機業になってゆくことだ。・・・・・安岡正篤『一日一言』
 2006年 11月24日(金)  くもり
 自分で努力した結果の利益を自分が享受するというレベルで考えているうちは、まだ志は低いと思います。自分が死んだ後に花が咲くことを信じて、いま一生懸命種まきをする。そういうのを志というのではないかと私は思います。・・・・・上甲晃(志ネットワーク代表)
 2006年 11月23日(木)  くもり
 礼とは、他人の気持ちに対する思いやりを眼に見える形で表現する事である。それは物事の道理を当然のこととして尊重するということである。・・・・・新渡戸稲造『武士道』
 2006年 11月22日(水)  くもり
「聖」というのは、日知りのことです。日とは「こんにちただいま」ということです。こんにちただいまということを本当に知っている人が偉いんです。だから聖人という言葉があるのです。・・・・・坂村真民(詩人)
 2006年 11月21日(火)  晴れ
(大番頭が、高級ワイングラスを割ったことに対し、小僧に注意している処で)番頭さん、あなたが店の為を思って小僧を叱ってくださったのは有り難いことです。しかし、あなたのさっきの怒り方を聞いていると、どうも不注意をたしなめているのではなく、高価な品を破損したという点を厳しく怒っているように聞こえました。ああいう場合、値段の大小よりも、不注意そのものに焦点を置いて言い聞かせるべきではないでしょうか。それが人を使う者の心得るべきことだと気がつきましたので、ちょっとお話ししたのです。・・・・・大塚琢造(明治時代銀座の高級料理店主)
 2006年 11月20日(月)  雨
 自分で使う言葉はもちろん、実は相手の言葉をどう受け入れるかも大変重要です。「素敵ですね」とか、「最近成長したな」などと褒められた時は、にっこり笑って、素直に「ありがとうございます」と受け入れましょう。日本人は謙虚が美徳といわれますが、「いえ、そんな、まだまだです」などと言うと、相手は表面意識では謙遜していると思っても、魂レベルでは撥(は)ねつけられたと思って気持ちよくありません。・・・・・越智啓子(精神科医)
 2006年 11月19日(日)  くもりのち雨
 大人とは、現実の限界を知った者の称だ。子どもとは、それを無視して華麗で壮大な夢を追うことのできる者の称である。人類がはじまって以来、人類を推し進めてきたいわゆる選ばれたる者は、釈迦にしろ、三蔵法師にしろ、源義経にしろ、織田信長にしろ、また数多くの天才的建築家や画家にしろ、すべて大人ではない。あれは子どもの精神を大量にもっていた連中だ。・・・・・司馬遼太郎『城をとる話』
 2006年 11月18日(土)  くもり
(最近の、子供のいじめによる自殺報道を受けて)現在は、感情を素直に表わすことがもてはやされているが、「哀しい事・嬉しい事」があった場合でも、訓練をして、客観的に見る必要がある。なぜなら、死ぬ事は選べるけど、生きることは選べないんだから。・・・・・ビートたけし
 2006年 11月17日(金)  くもり
 人間の病気でも同じこと、会社経営、家庭経済でも同じである。何でも早いうちに、邪魔になるものを取り除かねばならぬ。人間万事、即時即効。小さな事でも、ちゃんとケジメを付けよ。・・・・・松永安左ヱ門(明治期 電力の鬼・自分の好きな経営者の一人)
 2006年 11月16日(木)  雨
 音楽とは、何かを得たとか取り込んだとかゆえの利得でもなく、ただ聴き入っている時間の流れが、われわれをおだやかにしみじみと喜ばすだけであろう。効能なき静謐(せいひつ)な充足感の愉楽(ゆらく)、それが音楽と友情に共通する気分であろう。・・・・・谷沢永一(関西大学名誉教授)
 2006年 11月15日(水)  雨
 ドラッカーは「経営者は世の中に借りがある」と言っています。多くの人とお金を預かっているわけですからね。しかし、借りがあるだけではなく、経営者は胸を張って堂々と進むべき誉(ほま)れ高き職業でもあるんです。なぜならば文明をつくっているわけですから。この二面において、経営者には非常に重大な責任がある。・・・・・上田惇生(ドラッカーの翻訳)
 2006年 11月14日(火)  くもり
『21世紀に生きる君たちへ』司馬遼太郎著(司馬氏が、小学生に向けて心血を注いで書いた文章の抜粋)

 「いたわり」
 「他人の痛みを感じること」
 「やさしさ」
 みな似たような言葉である。
 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、
 そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
 2006年 11月13日(月)  くもり
 四時の序(じょ)、功を成す者は去る。【春は万物を芽ぐませて去り、夏はこれを成長させて去り、秋はこれを成熟させて去り、冬はこれを収蔵して去る。春夏秋冬、おのおの、その功を成しとげると、順序よく移りかわっていく。同様に人間も功をなしとげたら、潔く去って、次の者にバトンタッチすべきである。】・・・・・曾先之『十八史略
 2006年 11月12日(日)  雨のちくもり
「人というものは、この世の中に生きている以上、それ相応の責任(せめ)を負わなくてはならぬ」ということなのだ。最小限の責任だけは果たさぬと、周囲の人びとへ迷惑をおよぼし、不幸をあたえることになってしまう。人の世は、そのようにできている。・・・・・池波正太郎『まんぞくまんぞく』
 2006年 11月11日(土)  雨
『落葉』ヴェルレーヌ
 秋の日の ヴィオロンの ため息の 身にしみて ひたぶるに うら悲し。
 鐘のおとに 胸ふさぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。
 げにわれは うらぶれて ここかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな。
 2006年 11月10日(金)  晴れ
 人間を根底としない技術は意味をなさない。企業発展の原動力は思想なんだ。だから真の技術というものは哲学の結晶だと思っている。・・・・・本田宗一郎(ホンダ創業者)
 2006年 11月 9日(木)  晴れ
 幼児は麻疹(はしか)よりもっと恐れや怒り、憎しみや冷淡に感染しやすい。自分が好かれているか、嫌われているかということに、子供は食物と同様に反応する。一家の感情の中で自分の占めている立場をよく覚(さと)る。親の精神状態は直(じか)に子供に反応する。特に親の怒りは子供に大きな衝撃を与えます。・・・・・安岡正篤
 2006年 11月 8日(水)  晴れ
春風を以て人に接し、秋露を以て自ら慎む(人に会うときは春風のように穏やかに接し、一人になれば秋の露のように厳しく自らの行動をただす。)・・・・・本庄正則(伊藤園創業者の座右の銘)『佐藤一斎の言葉を引用』
 2006年 11月 7日(火)  雨(風強し)
 物事をシンプルに解釈する人は努力をしている人です。複雑にするのは、現状を解決しないまま通り過ぎて、さらに分らなくなってしまっている人です。・・・・・カルロス・ゴーン(日産社長)
 2006年 11月 6日(月)  晴れのち雨
 笑うことも出来ない、涙をとめることもできないという事実をつきつけられて、初めて「自分で何でも出来ると思い込んでいたが、自分の力ではなかったのだなあ」と気づかされ「なせばなる なさぬは人の なさぬなりけり」などと、子供の尻をたたいていた自分が思い出され恥ずかしい。「笑わせていただいていた」「声を出させていただいていた」という事実にぶつかって、他力とは自力を尽くしたところにあると思っていたのが、自力とは他力の中にある。もしかしたら、自力そのものも他力ではないかと思えてきた。・・・・・鈴木章子
 2006年 11月 5日(日)  晴れ
ありがとうは、「難が有る」と漢字で書きます。難が有るからありがとうなんです。つまり、ピンチがチャンスです。・・・・・五日市剛(工学博士)イスラエルのおばあさんの言葉
 2006年 11月 4日(土)  晴れ
 お客様がいらっしゃらない時に、腰を掛けることは禁じていました。いつ、お客様がいらっしゃるかわからないのに座っていてどうする、立って待っているようにと教えられました。店が暇な時こそ、いつお客様がいらしても対応できる態勢を整えていなさいというのです。まだお見えにならないお客様のことを考えておくのが、商人です。・・・・・伊藤雅俊(イトーヨーカドー名誉会長)の母
 2006年 11月 3日(金)  晴れ
 例えば十人が一太刀ずつこちらに切り込んできても、その一太刀一太刀を受け流して、跡に心を止めず、次々と跡を捨て跡を拾うならば、十人すべてに働きを欠かぬことになる。十人に十度心が働いても、どの一人にも心を止めなければ、次々に応じて働きは欠けることはない。だがもし一人の前に心が止まるようならば、その一人の太刀は受け流すことはできても、二人目に対してはこちらの働きが抜けてしまうものだ。
 千手観音に千本も手があるのはなぜか。弓を取る手に心がとらわれるならば、他の九百九十九の手は用にたたない。一つの所に心を止めないからこそ、千本の手が皆用にたつのである。いかに千手観音とはいえ、身一つにどうして千本の手を持っているのか。それは、不動智さえひらけたならば、身に手が千本あっても、皆用にたつことを人々に示さんがために作られた姿なのだ。例えば一本の木に向って、そのうちの赤い葉一つだけを見ておれば、残りの葉は目に入ってこない。一つの葉に目をとられず、一本の木に無心に立ち向かうなら、数多くの葉も残らず目に見えるものなのだ。
 一枚の葉に心をとらわれると残りの葉は見えず、一ヵ所に心を止めなければ、百千の葉がみな見えるのだ。このことを得心した人は、すなわち千手千眼(せんじゅせんげん)の観音と同じだといえよう。・・・・・・沢庵宗彭(そうほう)江戸前期の禅僧
 2006年 11月 2日(木)  晴れ
 ジェームズ・アレン『「原因」と「結果」の法則』

心の中の思いが 私たちを創っている  私たちは  自分の思いによって作り上げられている
私たちの心が邪悪な思いで満ちているとき  私たちは  いつも痛みがつきまとう
もし私たちが清い思いばかりをめぐらしたなら  私たちには喜びばかりがつきまとう
私たち自身の影のようにして
 2006年 11月 1日(水)  くもり
 物事にはすべて表と裏があるのです。言い換えれば、日向と日陰とがあるわけです。ところが人間というものは、とかく自分の好きな方、欲する方に執着して、他の半面は忘れやすいのです。・・・・・森信三『修身教授録』

2006年 10月


 2006年 10月31日(火)  晴れ
 たとえ天秤棒を担ぐ小商人であっても、自分のことばかりでなく、世の中の一員としての自覚を持つことが大切だ。不義理や迷惑をかけないように、絶えず周囲や世間の人の事を思いやり、労苦を厭わず懸命に働けば、立派に一人前の商人として認められる。やがて相当の資産を築くこともできるものである。その際、同時に、勤勉に加えて幸福に恵まれることも大事なこととして考えなければならない。ただし、初めから欲にかられて儲けようと思っても無駄であり、何の得にもならない。・・・・小林吟右衛門(近江商人)の遺言
 2006年 10月30日(月)  晴れ
 百花繚乱(りょうらん)の春が過ぎて、花木が枯れゆくときには、たとえ植木の名人でも再びもとのように樹木を蘇生させることはできないものです。そういうわけですから、枯れゆきときは強(し)いて手を加えないで、種子を来年の春まで残す事が、識者の仕事というものです。国を治める方策もまたその通りで、大事な事は種子(有為な人材や教学)を後世に残す事である。・・・・・林述斎(江戸期幕府大学頭)
 2006年 10月29日(日)  晴れ
 私は講演会の冒頭によく話すんです。「講演は楽しく聴ける時もあれば退屈する時もある。だがその講師の話の内容がよかったか、ためになったか、それほどでもなかったかは受け取る側の器で決まります。どのようなお話にも何か自分の血肉とできる内容があります。大切なのはそれをどれだけ吸収できるかです。自分の器が大きければ、それだけいいものを多く吸収できますよ」と。・・・・・上島康男(ユ・コーヒーウエシマグループ代表)
 2006年 10月28日(土)  晴れ
 私は道端で人から声を掛けられてもいやな顔をしないんです。分け隔てもしません。「ああ、この人は自分のCDを持っているんじゃないか」「本を買って読んだのではないか」と考えてしまう。空港で囲まれても、時間のある限りサインをしたり握手をしたりして皆さんと接していきたいと思っているんです。だって私は皆さんのおかげで今日こうやって芸人を続けられているわけですから。・・・・・綾小路きみまろ(漫談師)
 2006年 10月27日(金)  晴れ
 今の家庭は、いい高校、いい大学と、リスクを取らさない世界に子供を置きがちです。そのようなリスクを取らない人が、国を動かす官僚に多く集まっているのです。・・・・・小島順彦(三菱商事社長)
 2006年 10月26日(木)  晴れ
 ブランドとは「消費者との約束」と考えています。成功するブランドは消費者に価値を与えることを約束し、それを守ります。約束したこと以上の製品やサービスを提供することで、消費者を驚かせます。・・・・・アラン・ラフリー(P&G会長)
 2006年 10月25日(水)  晴れ
 現代人の一般的欠陥は、あまりに雑書を読み、雑学になって、愛読書、座右の書、私淑(ししゅく)する人などを持たない。一様に雑駁(ざっぱく)・横着(おうちゃく)になっている。自由だ、民主だということを誤解して、己をもって足れりとして、人に心から学ぼうとしない。これは大成するのに、もっとも禁物であります。・・・・・安岡正篤一日一言
 2006年 10月24日(火)  雨のち晴れ
 トップでもパートの人でも、悪いことはすぐ「ごめん」と言う風土がないと会社は持ちません。・・・・・大山轟介(キューピー前社長)
 2006年 10月23日(月)  晴れのち雨
 感謝はもらってありがたいと思うだけではいけません。ありがたいという気持ちで人に同じ喜びを与えて初めて感謝が完成するのです。「返謝で感謝が完成する」・・・・・北川八郎(陶芸家)
 2006年 10月22日(日)  晴れ
 海老は永遠の若さを象徴しているというので、めでたいものとされる。というのは、あれは生ける限り何時(いつ)までも殻を脱(ぬ)ぎ、固まらない。ことに万物がぼつぼつ固くなる秋に、彼は殻を脱する。生ける限りよく殻を脱いで固まらぬ、いつまでも若さを失わない、よく変化していくという意味で、海老はめでたい。
 自己の殻、学問の殻、仕事の殻、会社に入れば会社の殻、役所に入れば役人の殻から、なかなか抜けられぬものであります。これが抜けきらぬと、人間が固まってしまう。・・・・・安岡正篤『一日一言』
 2006年 10月21日(土)  晴れ
 言葉の力は偉大です。恐ろしいのは、その人が発する愚痴や悪口、批判といったマイナスの言葉を誰よりも多く聞いているのは、ほかならぬその人自身だということです。そしてそれはやがてその人の心身を蝕(むしば)むことにもなるのです。・・・・・朝日俊彦(香川県立中央病院泌尿器科主任部長)
 2006年 10月20日(金)  くもりのち雨
 私自身がしんどい時ずっと支えにしてきた言葉があるんです。それは『明日は味方』という言葉です。誰の言葉かは分かりませんが、これは一生の言葉だと思っています。ひたむきにやっていれば、必ず明日は味方になる。・・・・・山本一力(作家)
 2006年 10月19日(木)  晴れ
 世間の人が、やれ忙しい忙しいというのは、たいてい半分は無駄に忙しい思いをしているものじゃ。なんでも、無駄をせぬように心掛けるがよい・・・・・峨山禅師
 2006年 10月18日(水)  晴れ
 社長と言うのは「President」である。読んで字の如く「人前に」〈Prae〉「坐っている」〈Sedeo〉人である。皆が彼の後をついてくる。だから、皆は彼を頼りにすることができるが、彼自身は何処に向かって進むかを自分自身で決めねばならない。皆は彼の後姿を見ているが、彼は誰の後姿も見ることはできない。そして、皆をリードするには後姿をもってするより他はない。・・・・・人間学『伊藤肇』
 2006年 10月17日(火)  晴れ
 私は去年の自分に負けたくないんです。もちろん年を取って体力がなくなっていきます。それでも去年のできたことが今年できないわけがないと、自分にもお店の子たちにも言い聞かせているんです。・・・・・長谷川佳子(安達太陽堂専務)
 2006年 10月16日(月)  晴れ
ヱスビー食品梶@社訓
一、柱となり宝となれ、そこになくてはならぬ人となれ!君の希望も情熱もその為にあるのだ
一、仕事を創れ!仕事を追え!働く人に信頼が集まる。仕事が人一倍多くなったらそれだけ君の信頼が高まっているのだ
一、工夫、研究!これを忘れたとき君は後退に第一歩をふみ出しているのだ
一、自己啓発に努めよ!これがないから君には迫力も進展も自信もない
一、決定に対する責任を重んじよ!責任の回避は権利の放棄と直結している
一、困難な仕事と取り組め、最後までやり通せ!ここに始めて進歩と若さが生まれるのだ
一、常に積極的であれ!その為の摩擦を恐れるな、でないと君は卑屈になる
一、為すべき事をしないで、権利のみ要求してはならない。権利は正しい努力と積極から生まれる
一、他人の立場になって考えよ、自分の考え方が広ければそれだけ自分を大きくする
一、先人の歩んだ茨の道を汚すな、君の今働いている場所は輝かしい伝統に支えられているのだ
 2006年 10月15日(日)  晴れ
 日本人というのは、白と黒の区別があっても、その間の色合いがない、白でなければ黒、黒でなければ白と、きめつけずにはいられないところがある。しかし人の世の中というものは、そのように、はっきりと何事も割り切れるものではないのだ。何千人、何万人もの人びと。みなそれぞれに暮らしもちがい、心も体もちがう人びとを、白と黒の、たった二色で割り切ろうとしてはいけない。その間にある、さまざまな色合いによって、暮らしの事も考えねばならぬし、男女の間のことも、親子の事も考えねばならぬ。ましてや、天下をおさめる政治ならなおさらにそうなのだ。・・・・・池波正太郎『その男』
 2006年 10月14日(土)  晴れ
 天知る、神知る、我知る、子知る。何ぞ知るものなしといわん【君は誰も知る者がないと言うが、天が知っている、神も知っている。わしも知っている。君も知っているではないか。どうして知る者がないと言えるのだ。】・・・・・・どんな人間の行動も、なにかによって必ず察知されるものだ。人は「見てござる」・・・・・後漢書
 2006年 10月13日(金)  晴れ
 「さいわい」にも幸と福と二字ある。学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたにすぎない幸いを幸という。たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなくうまいめぐり合わせにぶつかったとかいう、これは幸。これは当てにならない。
 そうではなくて原因を自己の中に有する、即ち自分の苦心、自分の努力によって勝ち得たる幸いを「福」という。福という字がそれをよく表しておる。示偏(しめすへん)というのは神さまのことだ。示というのは上から光がさしている、神の光、叡智(えいち)の光を表す。旁(つくり)は「収穫を積み重ねた」という文字だ。農家でいうならば俵(たわら)を積み上げるという文字。神の前に蓄積されたるものが「福」である。・・・・・安岡正篤
 2006年 10月12日(木)  晴れ
「人間は死ぬまで夢を持て!その夢が叶(かな)わなくても、しょせん夢だから」・・・・・佐賀のがばいばあちゃん(島田洋七の祖母)
 2006年 10月11日(水)  くもり時々雨
 俳優とは人それぞれで伸びるテンポが違うので、自分だけの時計を持たないといけないんです。ところが「私はなぜあの人のようになれないのだろう」とついつい他人の時計を覗いて、自分を見失ってしまうんです。・・・・・浅利慶太(劇団四季代表)
 2006年 10月10日(火)  晴れ
 何より痛感したのは、『とにかくやってみる』ことの大切さ。これが人間が成長するための最良で最大の方法と学んだ。マーケットが大きくて成熟していない時というのは、やった者勝ちなんです。やった人にだけノウハウがつき、スキルがつく。ノウハウがない、スキルがないからと勝負に出るのをやめるなんて、大変な勘違いです・・・・・増田宗昭(TUTAYA創業者)
 2006年 10月 9日(月)  晴れ
 以前読んだ本に、「まーくんの十円玉」という話があったんです。まーくんは体が不自由で、施設に入って、お母さんとは離れ離れで暮らすようになった。ある日先生が小銭をいっぱい持ってきて、「この中で一番価値の高いのはどれかな」と聞いた。みんなは五百円を選んだけど、まーくんだけが十円を選んだんです。「どうしてまーくんは十円なのかな?」と先生が聞くと、「十円あれば電話をして、ママの声が聞ける」と。
 結局、商売というのはお客様にとって一番大切なものは何かを見つけて、提供する事ですよ。高いからいい、安いから悪いということではなく、その商品がそのお客様に価値があるかどうか。それをキャッチするには、私はお客様とじかに向き合って、言葉と言葉を交わす中でしか出来ないと思っています。・・・・・長谷川佳子(安達太陽堂専務)
 2006年 10月 8日(日)  くもり
 イギリスの庭師の場合、「カエデを庭のあそこに植えてくれ」と注文すると、言われたところにポンと植えて、お金を貰って帰ってしまう。ところが日本の庭師の場合、まず家主の言うことを聞かないと言う。あそこに植えた方が良い、などと逆に提案してくる。そして1本の木をあらゆる角度から眺め、庭師自身もあっちこっちに立ち位置を変え、目を丸くしたり目を細めたりして、散々に見たあと、最も美しく、調和の取れた所に、弟子たちに身振り手振りで指示を与えて植えさせる。日本の庭師と言うのはオーケストラの指揮者のようだ。「見ていてわくわくする」。・・・・・ジョージ・サンソム(イギリスの外交官)   「国家の品格」抜粋  藤原正彦著
 2006年 10月 7日(土)  雨
 良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様は誠に妙(たえ)なるものがある。これを縁尋機妙(えんじんきみょう)という。/また、いい人に交わっていると良い結果に恵まれる―これをた多逢聖因(たほうしょういん)という。人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に合うことを考えなければならない。・・・・・安岡正篤一日一言
 2006年 10月 6日(金)  雨
 もはや企業間の競争は「弱肉強食」ではありません。「適者生存」こそ真理です。滅びる企業は競争相手に負けたのではなく、日々刻々と変わっている環境にうまく適応できなかったというだけのことです。・・・・・稲盛和夫(京セラ名誉会長)
 2006年 10月 5日(木)  くもりのち雨
 私は学生時代にノルディックスキーをやっていました。当時はメジャーでありませんでしたから、観客がほとんど来ないんです。競技というのは観客が来るから頑張るもので、誰も見に来なかったら力が入りません。しかし、その誰も見ていないところで努力するかしないかで、成績が変わることを体験しました。・・・・・町田勝彦(シャープ社長)
 2006年 10月 4日(水)  晴れ
 子曰く、「孟之反伐(ほこ)らず、奔(はし)りて殿(でん)す。将(まさ)に門に入らんとす。其の馬に策(むち)うちて曰く、『敢(あ)へて後(おく)れたるにあらず。馬進まざるなり』と【孟之反という人物は決してほこらなかった。軍が敗走したときには、自らしんがりとなって敵の追撃を防いだ。まさに城門に入ろうとする時、自分の馬を鞭打ち「自分はしんがりを務めたのではない。この馬が進まなかったのだ」と言って、少しも誇ることがなかった】・・・・孔子『論語』
 2006年 10月 3日(火)  晴れ
 私は地道に、学歴もなく、独学でやってきた。座右の銘というのではないが、『われ以外皆師也』と思っている。自分以外は、すべてどんな人でも、わが師、先生であると。・・・・・吉川英治
 2006年 10月 2日(月)  雨
 人は、自分で自らを幸せにすることはできません。どんなに美しく着飾り、化粧をしても、鏡の中の自分の姿を見ているだけでは深い満足や本当の安心は得られないでしょう。それよりも誰かがひと言「きれいだね」と褒めてくれる、あるいは行動で示してくれる。とその時に、喜びや満足が得られるのです。人間は、人に「心」をいただくことで喜びを感じる。人から幸せをいただくのです。・・・・・小林義功(大谷観音堂和尚)
 2006年 10月 1日(日)  くもりのち雨
 たいていの人は、お辞儀というのは「相手に敬意を表する」ことと思っているが、それは第二義である。第一義は相手を敬するということではなくて、「自らを敬す」ということである。例えば仏典にお辞儀ということを説いて、「吾を以て汝(なんじ)を敬し、汝を以て吾を敬す」と言っている。つまりお辞儀をするということは「自分が相手に敬意を表すると同時に、相手を通じて自分が自分に対して敬意を表する」ことである。
 鳥獣はお辞儀をするということを知らない。ということは、自らその真理、価値というものを尊重することを知らない。まだ精神生活が発達していない。人間になると初めてそれが発達してきて、お互いに挨拶をする。お辞儀をするということは、お互いに相敬するということであり、自ら他に挨拶をするということは、同時に他を通じて自己を敬すということだ。そこにお辞儀というものの厳粛な意義がある。・・・・・安岡正篤一日一言

2006年 9月


 2006年 9月30日(土)  晴れ
 私は生き物を真ん中に置いて、生き物に関連し便利だけで判断しては困る部分をはっきりしよう、時間を大切にしようという価値観が大事だと思います。・・・・・中村桂子(JT生命誌研究館館長)
 2006年 9月29日(金)  晴れ
 偉大な修業などというと、どんな奇抜な人間離れしたことをすることかなどと思う間は、まだ何もわかっておらぬのである。尋常日用の工夫に徹するのが大修業なのである。大いに悟りを開こうと思って、先ず佛(ほとけ)という偉大な者の秘義をつかもうとあせっている僧に、趙州(じょうしゅう)和尚(唐末の名禅僧)は答えた。朝食は食ったか。はい、いただきました。食器をよくかたづけなさい、と。・・・・・安岡正篤
 2006年 9月28日(木)  晴れ
 人生のことすべてプラスがあれば必ず裏にはマイナスがあり、表にマイナスが出れば、裏はプラスがあると言うわけです。実際神は公平そのものですが、ただわれわれ人間がそうと気付かないために、表面、事なきは得意になって、自ら失いつつあることに気付かず、表面不幸なものは、その底に深き真実を与えられつつあることに気付かないで、いたずらに嘆き悲しみ、果ては自暴自棄にもなるのです。ですから、物事を肯定的に解釈していく能力さえ身につけば、物事はすべてうまくいきます。・・・・・森信三
 2006年 9月27日(水)  雨のちくもり
 「子供は大人の父だ」とイギリスのことわざがあるそうですが、要するに子供の心を持たない大人はつまらない人です。子供の心を持っているというのでなければ、その人は信頼できませんし、その人のイマジネーションも信頼できません。・・・・・司馬遼太郎
 2006年 9月26日(火)  くもり
 世間に何を与えたか。会社に何を寄付したか。得意先に何を奉仕したか。素直に世間の評価を受け止め、自ら反省することが成長の一歩となる。・・・・・村瀬憲臣(元アサヒダンボール社長)
 2006年 9月25日(月)  くもり
 人類に限らず、他の動物でも植物でも、長く同一状態に置かれると枯衰する。もし盆栽のように同一範囲内に閉じ込める場合、枝葉を剪定したり肥料を適切に施したりして、その単調を破ってやらなければ枯死してしまう。これは明らかに同一系統のものが長く同一状態を繰り返す不利を訴えているのである。人間もまた、この例から逃れられない。境遇の固定は、たしかにある程度までは安定して幸福であるが、ある程度を過ぎれば発達進歩は停止し、次は萎縮不振を来し、ついには張る気を損失してしまう。・・・・・幸田露伴『努力論』を読む
 2006年 9月24日(日)  晴れ
 ボクはプロの経営者の一番の妙味とは、いかに従業員に惚れてもらうような生き方をするかにあると考えています。もちろん、そのためには自分に対する厳しさも求められます。・・・・・田舞徳太郎(日本創造教育研究所社長)
 2006年 9月23日(土)  くもり
 人間は生きものだ。生きものであるかぎり、自由の幻想はゆるされない。自由とは、不自由があってこそ成立するものなのだ。野生の動物たちの生態を見れば、おのずから、それを知ることができよう。彼等は、研ぎ澄まされた本能と感覚によって、自分たちの世界を子孫の存続をはかるため、きびしい掟(おきて)をまもりぬいている。その上で、草原を走る自由が得られることを、よくわきまえているのだ。・・・・・池波正太郎『日曜日の万年筆』
 2006年 9月22日(金)  晴れ
 講習講演は知識の漫談であり、学問は概念の漫談である。かかる雑識は己(おのれ)の人格と何等関係が無い。人生において重要なことは、体験の根を深く下すことでなければならぬ。・・・・・安岡正篤
 2006年 9月21日(木)  晴れ
 ウイスキーの仕事は、私にとって恋人のようなものである。恋している相手のためなら、どんな苦労でも苦労とは感じない。むしろ楽しみながら喜んでやるものだ。・・・・・竹鶴政孝(ニッカウヰスキー創立)
 2006年 9月20日(水)  晴れ
 我々は、国家の最高の官職にたいして、むろん首相であることは結構にちがいないが、さりとてむやみに欲しがるほどたいしたことではないという態度をとる人、また、たんに退官後のみでなく、在官中からすでに、事物の空しさを感じているひとの、悲しげな微笑によって治められるのを好ましいと考えてきているのである。【近代の為政者は民衆によって選ばれたのであるから、己の顔をいつも下に向けて調節しなければならない。上を向いてはいけないのである。】・・・・・ケインズ
 2006年 9月19日(火)  くもり
 自分だけうまいものを食って、人にまずいものを食わせたんじゃ意味をなさないんです。やっぱり人は人のために尽くさなくちゃいかん。必ずそれは戻ってくるからと。・・・・・渥美大童(版画家)
 2006年 9月18日(月)  くもり風強し
 なぜナショナリズムというものがいけないかと申しますと、これは自分の国民だけをむやみに主張して他を排斥する。つまり排他的民族主義になる、そういうものをショウヴィニズムと申します。これがいけない。
 しかしナショナリティ(国民性)というものは大事である。これなくして世界性、国際性、宇宙性というものは何も出てこない。やはり日本人は日本の個性、特殊性というものがあって、どこまでも日本人は日本人でなければならぬ。それでなくて世界市民になれるわけがない。・・・・・安岡正篤
 2006年 9月17日(日)  くもり
 沈黙は、愚人の鎧兜(よろいかぶと)なり。奸者の城塞(じょうさい)なり。・・・・・幸田露伴
 2006年 9月16日(土)  晴れ
 「君、樽の上からすくって飲むやつは、たとえ一升飲まれても、三升飲まれても大したことはない。怖いのは樽の底から一滴でも漏れることだ。そいつをよく注意してください」(大きく使われたとしても、それは怖くない。怖いのは日常の締りのない家計なのだ)・・・・・岩崎弥太郎(大三菱の基礎を作る)
 2006年 9月15日(金)  晴れ
 どれぐらい頑張ったら報われるかが残像として残っていれば、最後の踏ん張りが利く。有能な指導者はこれぐらいやれば結果が出るというのが分かっているから、冷静でいられる。・・・・・羽生善治(将棋・王座)
 2006年 9月14日(木)  くもり時々雨
 何ものにも真剣になれず、したがって、何事にも己を忘れることができない。満足することができない、楽しむことができない。したがって、常に不平を抱き、不満を持って何か陰口をたたいたり、やけのようなことを言って、その日その日をいかにも雑然、漫然と暮らすということは、人間として一種の自殺行為です。社会にとっても非常に有害です。毒であります。・・・・・安岡正篤『一日一言』
 2006年 9月13日(水)  くもり時々雨
 名前をつけるということは大事だ。だから、名前はおろそかにしてはいけないので「命名」と言う。「命」と言う字は絶対的という意味でいのちという。だから非常な意味をもって付ける。子供なら「お前は大きくなったらお前の名の通り、この通りに修行すればいいんだよ」という意味でつけるのが、命名だ。・・・・・安岡正篤
 2006年 9月12日(火)  くもり時々雨
 凡そ百事の成るや之を敬うに在り。その敗るるや必ず之を侮(あなど)るに在り。(すべての事において、成功はその事を大切に扱うことにより、失敗はその事をおろそかに扱うことによる。)・・・・・資治通鑑(しじつがん)
 2006年 9月11日(月)  くもり時々雨
 神ならぬ生身の人間が、歩留まりが上がらない原因を徹底して追究し、「こうすれば不良品がゼロになる」と神の領域に一歩でも近づこうと試みる。モノ作りとは、実はそういう極めて人間臭い営みなのでないでしょうか。・・・・・谷善平(シャープ顧問)
 2006年 9月10日(日)  晴れのち雨
 母ちゃん父ちゃんの時代にうまく行かなくても、おまえら子供の時代に花を咲かせりゃいい。だから、いつも目指すものを一流のところに持っていけ。母ちゃんにはできなかったけれど、おまえはそういうことを目指せ。・・・・・横内祐一郎(フジゲン会長)の母
 2006年 9月 9日(土)  晴れ
 個人でも集団でも敵と思えるような相手に出会ったら、それを忍耐や寛容を与える修行だと考えてみてください。そのように考えると、敵は私たちの師であり、先生だといえます。敵はとてもありがたい存在なのです。人生の苦しい時期は、有益な経験を得て内面を強くする最高のきかいなのですから。・・・・・ダライ・ラマ
 2006年 9月 8日(金)  晴れ
 人生は広くなれば、狭くもなる。それは、人生から何を得るかではなく、人生に何を注ぎこむかにかかっている・・・・・モンゴメリ
 2006年 9月 7日(木)  雨
『自由』とは『不平等』を要求することであって、『自由』と『平等』は両立しません。アメリカでは、『平等』はあくまでも、「法の下の平等」と「機会の平等」の二つに限定しています。・・・・・中川八洋(筑波大学教授)
 2006年 9月 6日(水)  雨
 回り道のようでも小中学生の頃は勉強の傍らクラブ活動に汗を流したり、片思いをして失恋したり、友達とひっつかみ合って喧嘩したり、叙情小説を読んで涙を流したり、色々なことを体験したほうがいいと思います。体験したことは、すべてその人の情緒力として身に付いてくるし、この情緒力がないと大人になって独創力が生まれません。倫理では絶対に独創は出来ないんです。・・・・・藤原正彦(お茶の水女子大学教授)
 2006年 9月 5日(火)  雨
 自分の城は自分で守れ(長い人生、大変なピンチを迎える場合がある。その時まず第一に決意を固めるべきは、万事なにからなにまで、自分の力でやってのけるという決意である。かりそめにも人の力を借りようなんて甘い気持ちに流れてはならない。)・・・・・石田退三(元トヨタ社長)
 2006年 9月 4日(月)  晴れ
 人は説得しても動かないものだ。納得したら動くのです。・・・・・近藤太香巳(ネクシィーズ社長)
 2006年 9月 3日(日)  晴れ
自己省察を学ぶ事の大切さ。・・・・・君たちの恋人が、遠くへ去ったために、不実のために、あるいは死んだために失われたとして、もし君たちがそのひとのために悲しんでいるだけなら、君たちに進歩はありません。たとえ君たちが、そのためにどんなに技巧と才能をかたむけても、そんなものには少しも価値はありません。前進する生命をたのみにし、折あるごとに自分を吟味することを忘れぬようにしたまえ。その当座には、自分が生きて働いているかどうかがわかりますし、あとで考えてみた場合には、自分が生きて働いていたかどうかがはっきりしてきます。・・・・・ゲーテ『文学論』
 2006年 9月 2日(土)  晴れ
 一日一日にできることにはそんなに差がないのに、それが十年たつと大変な差がでる。一日ちょっとずつでいいから、何かを勤めていくことが、どんなに大切なことか。時間だけは全ての人間に平等に与えられているのだから、心したいものである。・・・・・谷沢永一(作家)
 2006年 9月 1日(金)  晴れ
(後継社長の条件を聞かれ)とらわれない心、「私」が出ないと言うことを重視します。もちろん人間ですから誰しも私心はあります。しかし、私が小さくなって公が出てくるような人間でなければ、安心して経営を任せられません。・・・・・森下洋一(松下電器産業会長)

2006年 8月


 2006年 8月31日(木)  晴れ
 年齢を重ね、学びを重ねていくほどに自分ができないこと、知らないことを実感します。本を読む、自分で調べることはもちろんですが、分らない時は「分らないので教えてください」と、素直に人に言える自分でありたいなと心掛けています。・・・・・和田裕美(ペリエ社長)
 2006年 8月30日(水)  晴れ時々雨
 上機嫌は、社会において着ることのできる最上の衣装の一つであると言えよう。・・・・・サッカレー(イギリスの作家)
 2006年 8月29日(火)  晴れ
 日本の道徳は差別の道徳である。(例―人間には知人・非知人の別がある。人が危難に逢った時、もしその人が知人ならあらゆる手段でこれを助ける。非知人なら、それが目に入っても、一切黙殺して、かかわりあいになるな。ということになる。)・・・・・山本七平『空気の研究』
 2006年 8月28日(月)  晴れのち時々雨
 命じられた仕事はなんでもしろ。生き生きと嬉しそうに、熱心にするのだ。それが済んだら、すぐ他に仕事がないかと見回すのだ。仕事を量るのに、何時間働いたかで量ってはならない。朝から晩までの同じ時間内に、どれだけの仕事ができるかで量らなければならない。会社のひける時間がきたとき、時間後まで働くよりも、時間前に仕事をしてしまうぐらいがいい。しかし仕事が残っているときは、時間が過ぎても、決して帰ってはいけない。・・・・・ベッドフォード(給仕から身を起し、現エクソンモービルの社長に)
 2006年 8月27日(日)  晴れのち時々雨
 (リンカーンが靴磨きをしていて、秘書が忠告した事に対して)靴磨きは恥ずかしいことなのかね。それは違っていると思うな。大統領も靴磨きも、同じく世のため人のために働くものだ。世の中に卑しい仕事というものはないはずだ。ただ心の卑しい人はいるものだがね。・・・・・リンカーン
 2006年 8月26日(土)  晴れ
 道具を人々の手に行き渡らせるんだ。皆が一緒に働いたり、共有したり、協働したりできる道具を。「人々は善だ」という信念から始めるんだ。そしてそれらが結びついたものも必然的に善に違いない。そう、それで世界が変わるはずだ。Web2.0とはそういうことなんだ。・・・・・ピエール・オミディヤー(eベイ創業者)【ウェブ進化論抜粋】
 2006年 8月25日(金)  晴れ
 お茶を飲んだり昼飯を一人で食べたりするときに、店の人が自分の言動や態度をどう見るか、隣り合わせた人が自分をどう見るか、必ず何らかの反応が相手に表われるから、それを絶えず感じ取る、その訓練が勘をよくするし、気ばたらきをよくするんだよ。結局、気ばたらきというのは「相手の立場に立って自分を見つめること」です。・・・・・池波正太郎『新 私の歳月』
 2006年 8月24日(木)  晴れ
・他人と関わるのにみょうに遠慮することなく、素直に伝える事が大切である。躊躇してはいけない。
・自分の正味の価値を、正味の価値通りに周りの人に伝える事が大切である。
・独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛う(へつらう)ものなり。常に人を恐れ人に諛う者は次第にこれに慣れ、その面の皮鉄の如くなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる習い性となるとはこの事にて、慣れたることは容易に改め難きものなり。・・・・・福沢諭吉
 2006年 8月23日(水)  晴れ
 人間はどこまでも亭々(ていてい)として聳(そび)ゆる野中の杉、尾上(おのえ)の松の如(ごと)く、すくすくと伸びていかなければならぬ。たえず枝を払い、懐(ふところ)をすかせ、花あれば花を間引き、実成れば実を間引き、絶えず努力すれば、偉大な自然人になることができる。・・・・・安岡正篤
 2006年 8月22日(火)  晴れ
 ボクの人生、何が一番幸せかというと、仕事そのものが社会貢献に直結していることです。職業に貴賎(きせん)はないといっても、やはり人間、人々の笑顔に近いところにいたほうが、充実感があります・・・・・熊谷正寿(創業1年で、ジャスダック上場)
 2006年 8月21日(月)  雨のち晴れ
 自分は二十六歳の小僧だから、一九や二十歳の小僧さんと同じであってはいけない・・・・・・津田勝五郎(鉄商津田商店の創業者)
 2006年 8月20日(日)  晴れ
 控え目であるためには、その前になにかに立ち向かうことが必要です。・・・・・オードリー・ヘップバーン
 2006年 8月19日(土)  晴れ
 やはり私は、電話一本、ハガキ一枚でも、それを受け取った人の心がパッと明るくなるような、そういう人生を歩きたいと思うんです。私が人に電話した時に、相手が不吉を感じたとしたら、私の人生は何の役にも立っていないことになると思うんです。・・・・・鍵山秀三郎(イエローハット相談役)
 2006年 8月18日(金)  晴れ
 民主主義とは主権在民です。で、主権者である国民は何によって物事のよしあしを判断するかというと、ほとんどの場合テレビや新聞などのマスコミ以外にはない。結局、民主主義は世論イコールマスコミ原理主義になりやすい。だから現在の日本のように政治家も官僚も、司法も国民の顔色ばかり見て判断するようになる。言い換えるとマスコミは第一権力として、立法、司法、行政の上に立って、マスコミの力で何もかもが決まっていくという実に困った現象が起きている。・・・・・藤原正彦(お茶の水女子大学教授)
 2006年 8月17日(木)  晴れのち雨
 世に処する大本(たいほん)は礼節を守るにあるということだ。君も人から尊敬されようと思ったら、まず他人を尊敬しなければならない。服装のいかんによらず、その人の人格を尊敬しなければならない。それを守らないと、往々にして取り返しのつかない間違いを犯す。・・・・・ザワドーフスキー(ロシアの政治家)
 2006年 8月16日(水)  晴れ
 返事をなおざりにしておくことは、犯罪でないまでも、それは罪悪である「あなた方はただ雑誌の紙面だけをよくすれば、それで読者に対する義務を尽くし終えたと思うのは大間違いです。文字に現われない雑誌の背後で大奉仕をしなければならない。読者からの手紙には親切に返事を出してください。人間を動かすのはただ親切です」・・・・・エドワード・ボック(アメリカ最大の婦人雑誌を作る)
 2006年 8月15日(火)  晴れ
人物とは・・・・・・安岡正篤

 人物たるに、まず1番根本的に備わっておらなければいけないものは「気力」です。心身一貫した[生命力]であります。事に当たりますと、非常に粘り強い、忍耐力・実行力に富んだ人であります。これは潜在エネルギーの問題でありまして、真の想像力です。これがないと何にもなりません。この気力・生命力が養われておりませんと、事に耐えません。いくら理想や教養がありましても、単なる観念や感傷・気分といったようなものになりまして、とかく人生の傍観者・逃避者・妥協主義者といったような意気地のないものになってしまうほかありません。
 そこで、次に大切なものは「志」というものであり、志気・志操・志節と申すものです。これは当然気力から出てくるものでありまして、そもそも気力というものは、その人の生を実現しようとする絶対者の創造的活動でありますから、必ず自ら実現しようとする何物かを念頭に発想するわけであります。これが理想あるいは[志]であります。志は、したがって空想とは違います。空想はその人の生命すなわちその人の創造力・実行力とつながりの薄いものでありまして、これに反して理想・志を抱くということは、生命力・気力の旺盛な所産であります。そういう場合に、気は単なる生気から進んで「志気」となり、これが現実の様々な矛盾抵抗にあいまして、容易に挫折したり消滅したりすることなく、一貫性・耐久性を持って「操」というものになり、「節」というものになるのであります。単なる気力は進んで「志気」となり、「志操」となり、「志節」となってまいります。
 この「志」が立つにしたがって、人間が本来具有しておる特性・理性により、「反省」というものが行われ、何が執り行うべきことか否かの判断・決定、すなわち「義」と、単なる欲望の満足に過ぎぬ「利」との弁別が立ちます。
 そこで人間はようやく現実の生活・他人・社会・様々なる経験に対する標準が立ってまいります。尺度が得られます。自分で物をはかることができるようになります。こういう人間内容が人生の体験を積んで、だんだん磨かれてまいりますと、それだけ深さ、確さ、不動性などを大きくしてまいります。これを「命を知る」、「命を立つ」、「命に達する」などと申します。ここに「信」という徳ができ、信義・信念・信仰となるのです。
 また、それと同じに大切なものがあります。人が万物と生を同じうするところより生ずる共感「愛」です。
 こういう人間の諸内容、もろもろの徳が和合してまいりますと、宇宙も、生命人格も一つのリズム・風韻をなしてきます。風格・風韻が備わってまいりまして、それが自らなんとなく現れて、否応なく人の認識に上る。このときに人物というものが決まるのであります。「あれは人物である」、「あれは人物が出来ておる」、「あれはできておらぬ」ということが自然に言われるのであります。
 2006年 8月14日(月)  晴れ
 太陽の光に浴さなければ、物が育たないのと同じことで、人間の理想精神というものは心の太陽なのだ。理想に向って情熱を湧(わ)かすということは、日に向う、太陽を仰(あお)ぐということだ。これがないと人間のあらゆる徳が発達せず、したがって才知芸能も発達しない。・・・・・安岡正篤『一日一言』
 2006年 8月13日(日)  晴れ
コロンブスの卵(創見は難く、模倣は易し)・・・・コロンブスがゆで卵を一つ持って「皆様、どなたでも、この卵を真っ直ぐに立ててくださいますか」一人ひとり試みたが、卵のことだからころころころがってしまい、うまく立たない。最後にコロンブスが、卵の端を少し割って平たくして、そこを下にして卵を立てた。それを見て人々は笑った。「なんだ馬鹿馬鹿しい。それなら誰だってできるじゃないか」コロンブスは言い返した。「そうです。誰にでもできる容易なことです。しかし、この容易なことを、たった今、どなたも出来なかったのです。他人のしたことを見れば、誰でも容易なことだと思いますが、誰もやらない時に真っ先にそれをやるということが貴いのです。真似ることは全く易しいんですがね」と。
 2006年 8月12日(土)  雨のち晴れ
 日本人が他人を評価するときの最終的な基準は、能力があるかないかではなく、「恩知らず」であるか、それとも「恩に報いる心を持っている」かである。人間の値打ちはこの二つで最終的に決まる。・・・・・谷沢永一(作家)
 2006年 8月11日(金)  晴れ
 (成功の秘訣は?)「お客様とお取引先を大切にする」「嘘をつかない」「感謝の心を忘れない」といった、商いというよりも、人間としての基本を毎日毎日飽きずに繰り返してきただけだと申し上げる以外にない。商売に王道なし。ただ心あるのみ。・・・・・伊藤雅俊(イトーヨーカドー名誉会長)
 2006年 8月10日(木)  晴れ
 絶えず繰り返し繰り返し善言・善説を聞く必要がある。道を学ぶ必要がある。それが久しうして、無意識のうちに自分の心境が肥えてゆく。やがてそれが立派な思想になり、見識になり、信念になって、政治に、経済に、又教育に、あらゆる面に溢れて、正しい道業になる。・・・・・安岡正篤
 2006年 8月 9日(水)  晴れ
 『一流の人間は決して弁解しない』古来、弁解や言い訳は上手にしたために値打ちをあげた人は一人もいません。それどころか、弁解や言い訳を上手にすればするほど、人から軽蔑かれます。・・・・・三浦綾子(作家)
 2006年 8月 8日(火)  晴れ
 想像力は頭の中の働きだと思われがちですが、そうとばかりはいえません。実際に行動することで他者の痛みが分かり、見えないものへの想像を働かせられるようになる。想像力は感動体験とか生活感覚の中から生まれてくるものです。・・・・・安藤忠雄〈建築家)
 2006年 8月 7日(月)  晴れ
 「現地現物」と私はよく言います。現地で現物を見ないと何事も判断できません。店とかにパッと入った時にものすごく熱気があるとか、やる気があるというのは、瞬間的に分るでしょう。雰囲気を直接見ることが非常に大切です。・・・・・奥田碩(元経団連会長)
 2006年 8月 6日(日)  晴れ
 『念』という文字は今の下に心と書きます。いま何をしているかが、明日の花になるんです。『念じても花が咲かない』という人がいますが、それは念じ方が違うのであって、いま何を思い、何を念じているかが明日の花として現れるんです・・・・・石川洋(托鉢者)
 2006年 8月 5日(土)  晴れ
 私は、神様の視点から言うと、神様が人間を作ったのは人間に喜んでもらいたいと思っているからだと考えます。だから、生きていることを目一杯喜ぶことが神様に喜んでもらえることだと思うんです。・・・・・絵門ゆう子(エッセイスト)
 2006年 8月 4日(金)  晴れ
 物事ってつまみ食いできないなということです。つまり、いいものも悪いものも全部引き受けなければいけない。・・・・・山本一力(作家)
 2006年 8月 3日(木)  晴れ
 男らしさとか女らしさとかいう前に、男も女も共通していちばん大事なことがあるんだよ。「人の身になって考える」ということがね、できる人がいちばんいいわけだよ。これがなかなか、口でいうのはやさしいが、できないことなんだけどね。・・・・・池波正太郎『梅安料理ごよみ』
 2006年 8月 2日(水)  晴れ
 人間は、自分の眼鏡でしか他人を見ることができないから、とかく自分を正当化する方向で人を見てしまいがちである。自分の方が偉いと見て取りたいがために、他人の欠点にばかり目が向いてしまう。できれば六割ほめ、四割けなす姿勢が無理がなく、人からも愛される。・・・・・谷沢永一(作家)
 2006年 8月 1日(火)  晴れ
 人は本能的に自分の心の中にある動物的、唯物的な要求を否認したがる。他人に自分をカッコよく見せようとするためでもあるが、自分一人で反省するときだってそうだ。ふつうそれを良心の働きと称するのだけれど、問題はこの心のうごきは自分の心の中の動物的利己心の存在を認めないでおこうとしてそれに目をつぶるだけで、それを克服しようとする努力は決してやっていないことにある。・・・・・会田雄次『決断の条件』

2006年 7月


 2006年 7月31日(月) 晴れ
 優れた師匠というものは、常にその門弟の人々を、共に道を歩む者として扱って、決して相手を見下すという事をしません。ただ同じ道を、数歩遅れてくるものという考えが、その根本にあるだけです。ですから、自分一人が山の頂上に腰を下ろして、あとから登ってくる者たちを眼下に見下して、「何を一体ぐずぐずしているのか」というような態度ではないのです。・・・・・森信三(教育者・哲学者)
 2006年 7月30日(日) 晴れ
 人間というものは、気分が大事です。気分がくさっていると、立派な知恵才覚を持っている人でも、それを十分に生かせません。しかし気分が非常にいいと、いままで気づかなかったことも考えつき、だんだん活動力が増してきます・・・・・松下幸之助
 2006年 7月29日(土) 曇りのち雨
 写真っていうのはいい被写体が来た、って思ってからカメラ向けたらもう遅いんですよ。その場の空気に自分が溶け込めば、二、三秒前に来るのがわかるんですよ。その二、三秒のあいだに絞りと、シャッタースピード、距離なんかを合わせておくんです。それで撮るんですよ・・・・・木村伊兵衛

事前準備・普段の心掛けの大切さ・・・・・・・
 2006年 7月28日(金) くもり
 言語をどううまく使えばいいのですかと聞かれたら、『正直』ということだけが肝心だといいます。正直であろう、正直であろうと訓練した練度の高い正直さです。・・・・・司馬遼太郎
 2006年 7月27日(木) 雨のちくもり
 私は生きるということについての疑問は持っていません。人はみな、宿題を持ってこの世に生まれてくる。その宿題をするために人は生きているのだと私は思っていますから。・・・・内藤いづみ(内科院長)
 2006年 7月26日(水) 晴れのちくもり
  かなしみ・・・・・坂村真民
 かなしみは みんな書いてはならない
 かなしみは みんな話してはならない
 かなしみは わたしたちを強くする根
 かなしみは わたしたちを支えている幹
 かなしみは わたしたちを美しくする花
 かなしみは いつも枯らしてはならない
 かなしみは いつも湛(たた)えていなくてはならない
 かなしみは いつも噛(か)みしめていなくてはならない
 2006年 7月25日(火) 雨のちくもり
 皆さん勘違いしてはる。大黒さんは小槌(こずち)を振ったらお金が出てきて、いっぱい宝物を持ってきてくれはるんやと。でも、そんな大黒さんは来てもらっても仕方がない。そうじゃなく、働くすべとか、努力するすべを教えてくれる大黒さんでないとね。大黒さんというのは「真っ黒になって働け」という意味があるんです。・・・・・松本明慶(大仏師)
 2006年 7月24日(月) 雨
 人間は誰しも出会いをキャッチするアンテナと、それを受信して周波数ごとに分別して「これは大切な言葉」だと認識する受像機とを授かっていると思います。ただ、アンテナ自身が電波を出していたら、ちゃんと受信できない。つまり自我が邪魔してしまうと、出会いをキャッチできないんです。・・・・・三宮麻由子(エッセイスト・4歳で失明)
 2006年 7月23日(日) 晴れ
 育ち盛りの人にとっては、次から次へと便利なものが押し寄せてきます。そうした状況下では、冒険心を持って未知なる方向へ漕ぎ出していく内面の強さは育ちにくい。人間が内面の強さを獲得するためには、自分の夢や目先の利益の実現だけでなく、最後には他人の役に立つという確信が必要なのです。・・・・・小平桂一(総合研究大学院学長)
 2006年 7月22日(土) 晴れ
 花が花の本性を現んじたる時、最も美なるが如く、人間が人間の本性を現んじた時は、美の頂上に達するのである。善は即ち美である。・・・・・西田幾太郎(哲学者)
 2006年 7月21日(金) 雨のち曇り
 日本というのは木の文化であり、大きな台風に見舞われるたびに壊れてしまう。でも日本人は、また木を切り出してきて作り直せばいいんだと開き直る。石の文化は自然と闘うけれども、木の文化は自然と共生するというわけです。・・・・・和辻哲郎(哲学者)
 2006年 7月20日(木) 晴れ
 経営者は、人間として部下と対峙できるか。その時、自分を支えるのは公私のけじめをはっきりさせた身辺の清潔さである。・・・・・江戸英雄(元三井不動産会長)
 2006年 7月19日(水) 雨のち晴れ
 今人おおむね口に多忙を説く。其の為す所を視るに、実事を整頓するは十に一二。閑事を料理するは十に八九。又閑事を認めて以て実事と為す。うべなり、其の多忙なるや。志有る者、誤りてこのアナを踏むことなかれ。・・・・・佐藤一斎(言志四録)
 2006年 7月18日(火) 雨
 真の自由とは全体を考え、部分の意義を知り、以てその為すべき行うべき所を明瞭に知って為すの所の行動でなければならぬ。従って時としては自分で自分を抑制し、克己反省することが、却って大なる自由の発揮となることもあるのである。・・・・・西晋一郎
 2006年 7月17日(月) 雨
 赤ちゃんというのは、できないことにばかり挑む。ハイハイできない赤ちゃんがハイハイを、歩けない赤ちゃんが歩こうとする。できないことに挑戦するから、いつも失敗する。だけど、転んで泣いたって、そこで挑む事をやめる赤ちゃんは一人だっていない。そういう本性を壊しているのが今の教育です。・・・・・石井勲{NPO法人日本漢字教育振興協会会長
 2006年 7月16日(日) 雨
 成功するにはどうするか?これは極めて簡単なんです。自分の仕事の創意工夫をすること、今日よりは明日、明日よりはあさってというように、三百六十五日続けていくことです。・・・・・稲盛和夫(京セラ創業者)
 2006年 7月15日(土) くもりのち雨
 世の中はよく「大人が変われば子供が変わる」と言うでしょう。でも大人は絶対に変わりません。大人を変えようなんて無駄。だけど子供は変わる。子供が変われば親が変わるんです。・・・・・横峯吉文(純真福祉会理事長)
 2006年 7月14日(金) くもり
 「自分の力ではない」とある種の謙虚さを持つには、心がピュアであることが必要です。子供が名演技できるのはピュアだからです。・・・・・倉本聡(シナリオ作家)
 2006年 7月13日(木) くもりのち雨
 人間だってそうじゃないか。百パーセント完全な人間はいない。必ず欠点がある。俺だって欠点だらけだ。欠点ばかりほじくるようでは見方が浅い。常に全体を見ていい面を吸収するんだ。・・・・・横山大観(大画家)
 2006年 7月12日(水) 大雨
 他人から忠言を受けて、怒る者あり、「余計な事」と思うものあり、感謝する者あり。前者は溌剌たる如く見えて小人なり。中者は偉大なる如く見えて凡俗なり。後者は意気地なきが如く見えて傑物(けつぶつ)なり。・・・・・中崎辰九郎
 2006年 7月11日(火) 晴れ
 現在の構造改革においても、変わるべきは国か、我々かといえば、変わるべきは我々です。いま、国民の気持ちの中には、国がこういう改革をしてくれたらとか、常に自分以外の何かが変われば生活がよくなるという思いがあります。私は、そうした思いが、ある意味で自分の責任からの逃避になっていると思うのです。・・・・・田坂広志(シンクタンク・ソフィアバンク代表)
 2006年 7月10日(月) 晴れ
 リーダーには、求心性と同時に遠心性を備えていなければならない。自分の生き方、リーダーとしてのあり方などについて、これでいいかという問いを絶えず持ち、自己を掘り下げて磨く。これが求心性である。求心性によって体得した心境や世界。それを幹部や部下などに及ぼし、自分のレベルまで引き上げようとする。それが遠心性である。・・・・・藤尾秀昭
 2006年 7月 9日(日) くもり時々雨
 血の出るような努力をすることです。そして血を流すところを社員に見せることですよ。【誰よりも経営者が、夜も寝ないで悩みに悩み、努力して、どうやって脱却するかを考えなければいけない。そして、一人だけ部屋に閉じこもっていないで、困って必死に考えている姿を社員にみせなさい。そうしたら社員はついてくる。人間というのは信じていい】・・・・松下幸之助
 2006年 7月 8日(土) くもり
 感動は人にしてあげれることができる一番の贈り物なのです。・・・・・河合弘隆(河合楽器社長)
 2006年 7月 7日(金) くもり
 年を取ると、平均点の人間は誰も相手にしてくれない。だから日々、自分を磨き続けなければいけないのです。・・・・・海田悠(写真家)
 2006年 7月 6日(木) くもり
「人格は繰り返す行動の総計である。それゆえに優秀さは単発的な行動にあらず、習慣である。」「間違い方はいろいろあるが、正しい方法はただ一つしかない。それ故に失敗するのは容易だが、成功するのは困難なのである。」・・・・・アリストテレス
 2006年 7月 5日(水) 雨
 情報とは、「情を報ずること」だと思うんです。情というのは人間の感情とか感覚に当るものです。ですから、本当の情報というのは、人間の心の中の感情をきちっと把握してそれを伝える事だと思うんです。・・・・・五木寛之
 2006年 7月 4日(火) 晴れ
 結局真に自修の人、すなわち自分で自分を修める人間となる覚悟を、根本から打ち立てることが大切です。自分を養うものは結局は自分であり、自己を築くものもまた自己である。・・・・・森信三『修身教授録』
 2006年 7月 3日(月) 雨のちくもり
 僕は今、3つの品質にトライしています。一つは、経営成績をどれだけ上げられるか。つまり経営者としての品質です。二つ目は、会社の行動という面の品質です。不祥事に規模の大小なんて、関係ありません。三つ目は僕自身の品質です。自分に嘘をつかず、経営できているかということです。・・・・・作田久男(オムロン社長)
 2006年 7月 2日(日) 雨のちくもり
 人間はひまわりと同じだと思うんですよ。太陽に当たれば当たるほど輝く。そして、輝いている人を見ると希望がわくでしょう。そういう人がいたから、戦後の日本はここまで来たんだと思うんですね。・・・・・海田悠(写真家)
 2006年 7月 1日(土) 雨のちくもり
 「大国を治むるは小鮮(しょうせん)を煮るがごとし」小鮮というのは小魚、大国を治めるには、小魚を煮るようにすべきものだ。つまり、小魚を煮るのにあまり引っかき回したら、頭も尻尾もとれてしまう。そっと煮る。大国を治めるにも崩さないように、善は善なり、小は小なりに存在できるようにしてやらなければいけないという意味です。・・・・・「老子」安岡正篤注釈

2006年 6月


 2006年 6月30日(金) 雨
 人身をうることは、梵天(ぼんてん)より糸を下して大海の底なる針の穴を通さんがごとしといえり【この世に人として生まれることは、天から糸をたらして、深い海の底の針の穴に通すほど稀なことなんだと。そんなに稀なことならば、私たちは喜びと感謝の心を持って生きていかなければいけません。】・・・・・法然上人
 2006年 6月29日(木) 晴れ
 志を高く持とうということです。菓子一つひとつに心を込め、常に最高の菓子を作ろうという思いで取り組む。そのためにいろいろな努力をする。そういう姿勢がなければお客様に本当に喜んでいただけるものは作れないと思うのです。・・・・・黒川光博(虎屋社長)
 2006年 6月28日(水) 晴れ
 恋は決闘です右を見たり、左を見たりしていたら敗北です。・・・・・ロマン・ロラン
 2006年 6月27日(火) 曇り
 素直に素直に触れてないとな。見て真似をするんだったら素直な気持でなくちゃ真似できませんからね。批判の目があったら学べません。・・・・・小川三夫(鵤工舎舎主)宮大工
 2006年 6月26日(月) 曇りのち雨
 小人を待つは厳に難からずして、悪まざるに難し。君子を待つは恭(きょう)に難からず、礼あるに難し【小人には、憎まずして厳でなければいけない。 子供に親らしくない、父らしくない姿を見せないことが大事です。もう子供の教育は母だなんていう時代は過ぎている。そんなこと優れた教育学者は言いません。やっぱり父だと言っている。だから教育パパにならなければいけない。】・・・・・菜根譚(さいこんたん)安岡正篤注釈
 2006年 6月25日(日) 晴れ
 とかく世の中を甘く考え、ごまかして渡る癖がつけば、もうお終いである。真剣になれないのが一番不幸なことである。・・・・・安岡正篤『百朝集』
 2006年 6月24日(土) 晴れ
 躾(しつけ)という字はまことにうまく出来ている。身体を美しくする、体をきれいにする、人間の在り方・生き方・動き方を美しくするという、これは躾だ。美しくするということは、つまり良くするということである。食事でも作法というものは、自然なもので、非常に美しい。つまり、道徳とか躾というものは、人間の生活、人間の在り様、人間の動き方というものをいかに自然にするか、いかに真実にするかということである。つまり、子供を躾けるということは、子供を叱ったり強制したりすることではなく、父母の在り方が、自然にお手本になるといことであります。・・・・・安岡正篤
 2006年 6月23日(金) 晴れ
 私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎない。99%は失敗の連続であった。その実を結んだ1%の成功が現在の私である。その失敗の陰に、迷惑をかけた人達のことを私は決して忘れないだろう。・・・・・本多宗一郎(ホンダ設立)
 2006年 6月22日(木) 雨のちくもり
 出会いの機会は誰にも公平にある。その公平な機会をどのような質と程度の出会いとしてとらえられるかは、求める気持の質と程度にかかっている。(出会いは、その人の実力に見合ったものになる。)・・・・・幸田露伴
 2006年 6月21日(水) くもり
 今の人たちは「政治化がダメだから」とか「学校の先生がうまくやってくれないから」とか、何事も自分以外の環境のせいにして、それに縛りつけられるのが好きなんです。自らが選択し、覚悟をすることで得られる、光り輝くような自由というのをみんな知らないんです。・・・・・曽野綾子(作家)
 2006年 6月20日(火) 晴れ
 他人のあらさがしは、なんの役にも立たない。相手はすぐさま防御体制をしいて、なんとか自分を正当化しようとするだろう。それに、自尊心を傷つけられた相手は、結局、反抗心をおこすことになり、まことに危険である。・・・・・デール・カーネギー「人を動かす」
 2006年 6月19日(月) 晴れ
 外から入って来た喜びは、いつか外に出て行きます。しかし、自分自身の内から生じた喜びは確固にして不動であり、またますます力を増し、最後に至るまで本人に随行します。・・・・・セネカ
 2006年 6月18日(日) 晴れ
左の写真は、今日事務所で咲いていたナツツバキ(シャラ)の花である。この時期の白い花はえもいえぬ。

『すべては光る』・・・・・・坂村真民
  光る
  光る
 
  すべては
  光る
  光らないものは
  ひとつとしてない
  みずから
  光らないものは
  他から
  光を受けて
  光る 
 2006年 6月17日(土) 晴れ
 管理や支配指導の立場にある人は、もし行動を誤れば失うものを多く持っている。失うものを持たず、ただどちらの道が獲物が多いかを判断するだけの大衆の方がずっと決断しやすい。大衆はたやすく判断し行動する。もちろん、その判断が、判断の時点で正当だったかどうかははなはだ疑問だ。だが、指導的立場の人々がそちらの方へなだれて行くことによって、大衆の判断と行動を正当化してしまうのである。・・・・・・会田雄次『決断の条件』
 2006年 6月16日(金) 晴れ
 他人の厚顔無恥に腹が立つとき、ただちに自らに問うてみよ。世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありえようか?ありえないと答えるだろう。それならば、ありえぬことを求めるな・・・・・マルクス・アウレリウス(ローマ皇帝)
 2006年 6月15日(木) 小雨 風強し
 人の悪口しかいえぬ人は、成長能力のない人であり、また人の短所しか見えない人は、成長がとまった人である。  人の長所が見えるようにならねば成長はない。・・・・・『生きよう今日も喜んで』平澤興
 2006年 6月14日(水) 晴れ
 機会は、準備した心を持った人に味方する・・・・・パスツール
 2006年 6月13日(火) 晴れ
 田という字の周囲の四角は境界線、その間に十が入っておりますが、これは道路です。ある一区画の土地に道をつける。そこで初めてあぜ道ができ、耕作する事もできる。そこで男という文字は、そういう未開墾の荒無地(こうぶち)に先ず道をつけて、これを開墾するという、開拓の努力をする野の男というわけです。・・・・・安岡正篤『十八史略』
 2006年 6月12日(月) くもり
 朝から晩までいろいろな人に会っていても、いま目の前にいるのはその人だけ。「疲れたなあ」という思いは、必ず相手にも伝わります。いつも新鮮な気持で出会うこと、それを私は大切にしているんです。・・・・・佐藤初女(はつめ)森のイスキア主宰
 2006年 6月11日(日) くもり
 これは日本の社会に通じるものがあると思うのですが、相手の考えていることがなかなか分かりにくい。自分の意見をなかなか出さないし、また出すのを良しとしない風潮があると思うのです。・・・・・中田英寿(サッカー選手)
 2006年 6月10日(土) 晴れ
 人間の心は自然と似ている。雑草は放っておいてもまたたく間に繁茂する。しかし、美しい花は、水を与え、肥料をやり、虫を除き、丹精込めて育てなければ花開かない。・・・・・森信三(教育者・哲学者)
 2006年 6月 9日(金) 雨
 われわれの気分が穏やかであるか荒れるかは、生涯の重大事によってよりも、むしろ毎日起きるこまごましたことの運びが、思わしく行くか行かないかによって左右される。・・・・・ラ・フシュフコー『箴言集』(フランス文学者)
 2006年 6月 8(木) 晴れ
 教育の目標・・・・・ものの良さが本当にわかるようにすること「スミレならスミレらしく、レンゲならレンゲらしく生き生きとすること」そうなるためには『情緒』という大地に『知性』という木の根を根付かせ、そこに『真我』という葉を茂らせねばならない。・・・・・(岡潔・天才数学者)
 2006年 6月 7日(水) 晴れ
 物事は「結び」によって生成発展します。結婚を例にあげるまでもなく、異質な物が結び合うことによって新しいものが生まれるのです。これを創造、あるいは化成といいます。化のニンベンの「イ」は背の伸びた若者、「ヒ」は腰の曲がった老人の姿です。親と子が結ばれることで新しい文化が創造され、伝承され永遠に発展を遂げていくのが化の意味するところです。・・・・・・伊與田覚(いよたさとる)論語普及会学監
 2006年 6月 6日(火) 晴れ
 人間の体に栄養が必要なように、心にも栄養が欠かせません。体の栄養は食物ですが、心の栄養は自分の得にならないことをやることです。得する事しかやらない人は、心の栄養が欠乏して人間が卑しくなるのです。・・・・・・鍵山秀三郎(イエローハット相談役)
 2006年 6月 5日(月) 晴れ
 良寛戒語
「人のもの言いきらぬ中に物言う」「よく心得ぬ事を人に教うる」「たやすく約束する」「推し量りのことを真事になして言う」「人のことわりを聞き取らずしておのがことを言いとおす」「よく知らぬことを憚なく言う」「人のきりょうのあるなし」「さとりくさき話」「人に物くれぬ先に何々やろうと言う」その他九十条
 2006年 6月 4日(日) 晴れ
 人間にも事業にもそれを見るのに最良の目の位置がある。正しく判断するために近くで見なければならないものもあるし、遠くへだたってでなければ正当に判断できないものもある。・・・・・ラ・フシュフコー『箴言集』(フランス文学者)
 2006年 6月 3日(土) 晴れ
 人間たる以上、自分の道は常に自己一人の力によって開かなければならぬ。同時にまた、闇夜に燈火なくして、手探りでは歩かれないように、人生の行路においても、自己の行く手を照らす光を要する。その光とは、偉大な先哲の教えである。・・・・・森信三(教育者・哲学者)
 2006年 6月 2日(金) 晴れ
 ある物体の長さを測るとき、どんな精巧な測定器を使おうが、誤差は生じる。たとえ、少々精度の悪い器具であっても、幾度も幾度も繰り返し測り続け、その中心値を取るようにすれば必ず真の値を求める事ができる。このように答えは必ず用意されている。・・・・・カール・フリードリヒ・ガウス(数学者)
 2006年 6月 1日(木) 晴れ
「時間を充実させること・・・・・・それこそが幸福である。」「愚痴はいかに高尚な内容でも、またいかに理由があっても、役に立たない。」・・・・・エマソン(哲学者)

2006年 5月


 2006年 5月31日(水) 晴れ
 人生は何よりも「なあに、くそ」という精神が必要だ。これさえ失わなければ、何事もやりとおせる。しかし、相手をあなどってかかる「なあに」であってはならない。全身全力で立ち向かうための「なあに」なのだ。・・・・・嘉納治五郎(柔道の神様)
 2006年 5月30日(火) くもり
 建物を建てるには、木くばりをする。まっすぐで節もなく見目もよい材木を表の柱とし、少し節があってもまっすぐで強いのを裏の柱とする。たとえ少し弱くても節がなく外見の美しいのは敷居、鴨居、戸、障子などに使い、節があって少々ゆがんでいるが強い木なら、家の要所要所を見分け十分に吟味して使えば、その建物は頑丈で長持ちする。また材木の中でも、節が多くゆがんでいて弱いのは足場にでも使い、あとで薪にすればよいのである。
 頭領が大工を使うときには、彼らの腕前の上手下手を知り、ある者は床廻り、ある者は戸、障子、ある者は敷居、鴨居、天上などと、それぞれの能力に応じて仕事をさせ、腕の悪い者には床板の下に張る根太(ねだ)を担当させ、もっとできない者にはくさびをけずらせるなどしている。人を見分けて使えば、能率もあがって手際よくいくものである。
 つまるところ、仕事が早いこと、手際がよいこと、物事をいいかげんにしないこと、使いどころを知ること、やる気があるかどうかを知ること、励みをつけること、限度を知ること、こういったことが、頭領の心得るべきことである。兵法の道理もまた同じである。・・・・・宮本武蔵『五輪書・地の巻』
 2006年 5月29日(月) くもり
 お客様に尊敬されよ(人間の感情で、それを頂戴するのに最も難しく高級なのは何か。それは恐らく尊敬であろう。尊敬を得るためには何を差し出せば宜しいか。それは、混じり気のない精一杯の誠実なのではなかろうか。)・・・・・稲盛和夫(京セラ名誉会長)
 2006年 5月28日(日) 雨のちくもり
「すべての人間が世に生まれて来たのは、快楽のおかげである。」「男がありとあらゆる理屈を並べても、女性の一滴の涙にはかなわない」・・・・・ヴォルテール(フランスの詩人)
 2006年 5月27日(土) 晴れ
「弱い人間は素直になれない。」「われわれは自分の幸も不幸も自己愛に見合う分しか感じない。」・・・・・・ラ・フシュフコー『箴言集』(フランス文学者)
 2006年 5月26日(金) 晴れ
 今日の混乱は、言葉はあるが、実行と責任のない世界が生み出したものであろう。このような世界は大変住みにくいように見えて実は案外楽な世渡りができる社会なのである。理由は簡単。腹をくくり、本当に責任を負う決心さえすればよいのである。そういう道を行く人はわずかしかいないのだから、誰も知らないバイパスのようなもので、言葉とかアイデアとか何かで混み合った本道のイライラをよそにスイスイ通って行ける。・・・・・会田雄次『決断の条件』
 2006年 5月25日(木) 晴れ
 人間の幸不幸は、運命に左右されると共に、それに劣らずその人の気質に左右される。・・・・・ラ・フシュフコー『箴言集』(フランス文学者)
 2006年 5月24日(水) 曇りのち雨
 小さな幸せをたくさん集めましょう。大きな幸せが、そう沢山あるとは思えません。たくさんの小さな幸せを身辺に拾ってごらんなさい。大きな幸せになります。・・・・・清水雅(元阪急電鉄会長)
 2006年 5月23日(火) 曇りのち雨
 横綱の責任を果たせなかったら辞めるしかないじゃないですか。大関は下がれるけれども、横綱は下がれない。だからいつ辞めても悔いのない相撲をとるために稽古、稽古、稽古なんです。・・・・・納谷幸喜(なやこうき・元横綱大鵬)
 2006年 5月22日(月) 晴れ(フェーン現象)
 謙譲の美徳によって尊大を打ち砕けると考えることは大抵失敗に終る。【こちらがへりくだり誠心誠意で行けばかならず相手もそれに応じるはずだという信仰があることが挙げられる。それはそれでよいとする。ただ大変都合の悪いのは次の二点である。第一には本当に誠心誠意とか、一片の私心もない真心など人間が持てるものだろうかという反省は一向に持たないということ。第二点は、こちらが誠心誠意で行くとき相手がそれに応じてくれないと、やたらと腹をたて相手を悪ときめつけることだ。】・・・・・マキャベリ『会田雄二注釈』
 2006年 5月21日(日) 晴れ
 人にいいことをしなかったのは、悪い事をしたと同じだ。・・・・・黒澤明(故映画監督)
 2006年 5月20日(土) 雨のち曇り
 子曰く、性相近(せいあいちか)し、習い相遠(あいとお)し。【人間の生まれ得た本性は大体似たり寄ったりのものだが、その後の習慣・教養で善悪賢愚の遠い隔たりが出来る。心すべきは環境と教育である。】・・・・・孔子『論語』 
 2006年 5月19日(金) 曇り時々雨
 人間は自分一人のことしか考えていないときには100パーセントの力しか出せない。でも他人の思いを背負うと120・150パーセントの力が出せる。君たちを一人生み出すために何百人、何千人という先祖が関わってきている。君たちは、まだ見ぬ子供や孫たちに渡していくたすきを背負っているのです。・・・・・大津寄章三(おおつきしょうぞう)愛知県東温私立重信中学校教諭
 2006年 5月18日(木) 曇り
 私たちは時間だけが平等です。あとは全部不平等なんです。一日二四時間をどのように使うか、どのような環境を与えるかによって人間の生き方は違ってくるんです。・・・・・小山昭雄(湘南やまゆり学園理事長)
 2006年 5月17日(水) 晴れのち雨
「鏡は絶対先に笑わない。」
「贈れば笑顔のお返しがあるひと言がある。ありがとうとごめんねだ。」・・・・・金平敬之助
 2006年 5月16日(火) 晴れ
「われわれが他人の美点を誉めそやすのは、その人の偉さに対する敬意よりも、むしろ自分自身の見識に対する得意からである。だから他人に賛辞を呈しているように見える時でも、実は自分が賛辞を浴びたいと思っているのである。」「人はふつう誉められるためにしか誉めない。」・・・・・ラ・フシュフコー『箴言集』(フランス文学者)
 2006年 5月15日(月) 晴れ
「もしわれわれに全く欠点がなければ、他人のあらさがしをこれほど楽しむはずはあるまい。」「もし自分に傲慢さが少しもなければ、われわれは他人の傲慢を責めはしないだろう。」・・・・・ラ・フシュフコー『箴言集』(フランス文学者)
 2006年 5月14日(日) 晴れ
 経営というのは、結局人を見る目だと私は思うんです。人間、不思議なもので、上から見られているというのを感じている間は、その会社に安心していられるというんです。薬師寺元管主の高田好胤(こういん)さんが、仏教には「見てござる」という言葉がある。誰かが見てくれているということが仏教の神髄だとおっしゃっていました。・・・・・牛尾治朗(ウシオ電機会長)
 2006年 5月13日(土) 雨
 意思決定を一寸のばしに逃げる口実として立派なことをつぶやいたり、意思決定ができない弱さをかくすために善や愛などとわめいているにすぎない。決断がもっとも必要。・・・・・会田雄次『決断の条件』
 2006年 5月12日(金) 晴れのちくもり
 一隅を挙げて三隅をもって反せざれば、すなわち復びせず【四角なものの一角を教えられたら、あとの三つの角は自分で考えてわかろうとする者でなければ、教える必要はない、と。自分でやろうとする自主性、積極性が肝要なのである。】・・・・・・・孔子
 2006年 5月11日(木) 雨のち晴れ
 ものを考える人々の場合、人生とは力づよい進歩を、したがって自己の本質の変化を、必然的に伴うべきである。だから、過去を回顧することは、ほとんど常に退歩を意味する。・・・・・ヒルティ『幸福論』
 2006年 5月10日(水) 晴れのち雨
 利他の心(他のものを少しでも助けてあげよう、よくしてあげようと思う心)を持つためには、まず自分が生きていることへの感謝の心を持たなくてはならないわけです。・・・・・稲盛和夫(京セラ名誉会長)
 2006年 5月 9日(火) 晴れ
 琴や三味線は弦を張って始めて音を出す。これが弛めば音が低くなる。弓は弦の弾力で矢を飛ばす。弛めば遠くへ飛ばないし、さらに弛めばもはや弓として役に立たない。人間だって同じこと、この張る気こそが事をなす原動力であって、張る気が失せてしまったら、もはや役立たずである。・・・・・幸田露伴『努力論』を読む
 2006年 5月 8日(月) くもりのち晴れ
 養生の第一は食物。それから、人間には楽観ということが必要である。自ら求めて悲観しないこと、物事を苦にせざること、何事にあれ諦めて潔く断念すること、どんな難儀な事が起こっても、尽くせるだけ尽くして、なに心配することはない、こうしておけばその内にどうにかなるだろうと考える。(略)これが大切な養生である。・・・・・益田孝(三井物産創設)
 2006年 5月 7日(日) 雨
 左の写真は、ソウル市内の景福宮での記念写真。今日は、昨日(3日〜6日までの韓国旅行)までの疲れにより一日、事務所でボーっと。

 三日前に降った雪が
 木や草のまわりだけ溶けて
 黒い土がのぞいている
 生きものって
 温かいんだね 

 (産経新聞に載っていた子供の詩)
 2006年 5月 6日(土) 雨
 いかなる名医も、家族の病気を診たがらぬという。これも、人間が自らたのむところの危うさを、医家だけに、よくわきまえているからなのだろう。自分のことはわからなくとも、他人のことは冷静に観察できる。ゆえに、他人の忠告を聞いて、「えらそうなことをいうものだ。自分がしていることを考えてみるがいい」と、断定してしまうのは、あまりよくないことにちがいない。・・・・・池波正太郎『真田太平記』
 2006年 5月 5日(金) 晴れ
 左の写真は、見送りに来て頂いた忠壯RCのメンバーと、富山西ロータリークラブとの記念撮影写真。今、ことさらに日本と韓国との外交問題が取り沙汰されているが、お互いの歴史認識を認めあった上での、草の根的な民間友好関係の構築の必要性を痛感。

 立身出世成功の観念が、それ以降においては、ひとしなみに利権として評価されるに至った。その象徴が芸能人やスポーツ選手であって、人々は一斉に褒めそやしながら、時いたるや急転直下に特権が失われるのを予感して、心の平衡を保っている。花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき、というのが現代の社会通念である。・・・・・谷沢永一(関西大学名誉教授)
 2006年 5月 4日(木) 晴れ
 「立身出世主義」は、家族の一員・・・・・ふつう母親が自分の属している社会階級より「低い」者と結婚したと感じているような家庭におこりやすい。この種の女性は自分の人生上の失敗に神経過敏で、自分の身代わりに子供を出世させて雪辱しようと依怙地になって決意する。・・・・・ラスウェル「権力と人間」
 2006年 5月 3日(水) 晴れ
 神様は一日たりとも私に休日をくれません。生きていく限り、程度の差こそあれども苦を避けて通ることはできないし、苦は手術のようにすっぽりと摘出することもできないのです。苦はそこにある。その中にいながらにして安らかな心でいられる、そんな人になりたいと思うのです。だからすべてを捨てて介護・・・それもまたよしです。・・・・・・・・山村洋子(研修プロジェクト主宰
 2006年 5月 2日(火) 雨
 身だしなみとか、おしゃれというのは、男の場合、人に見せるということもあるだろうけれども、やはり自分のためにやるんだね、根本的には。自分の気分を引き締めるためですよ。・・・・・池波正太郎『男の作法』
 2006年 5月 1日(月) くもりのち雨
 諸君が書物の中にどんな抽象や観念を見出したとしても、それを個人的経験に即して再発見する手段が与えられなければ、すべて空しいものなのです。【どんなに輝かしい智恵や示教であろうとも、名文句を覚えただけで効果があるというわけにはいかない。新しい経験へと突き進む勇気だけが、人を賢くして成長させる。後ずさりする臆病な姿勢から、何かを会得する成長は生まれない。】・・・・・ポール・バァレリー「歴史についての講演」

2006年 4月


 2006年 4月30日(日) くもり
 人生とは、一日一日が、いわば死への旅路であると言えよう。生あるものがいつかは死に至るというのが自然の理法であるかぎり、ものみな全て、この旅路に変更はない。ただ人間だけは、これが自然の理法であることを知って、この旅路に対処することができる。
 いつ死に至るかわからないにしても、生命のある間に、これだけのことをやっておきたいなどと、いろいろに思いめぐらすのである。これは別に老人だけにかぎらない。青春に胸ふくらます若人が、来るべき人生に備えていろいろと計画するのも、これまた死への準備にほかならないと言える。
 生と死とは表裏一体だから、生への準備はすなわち死への準備である。死を恐れるのは人間の本能である。だが、死を恐れるよりも、死の準備のないことを恐れたほうがいい。人はいつも死に直面している。それだけに生きることは尊い。そしてそれだけに、与えられている生命を最大に生かさなければならないのである。
 それを考えるのがすなわち死の準備である。そしてそれが生の心構えとなるのである。お互いに、生命あるものに与えられたこのきびしい宿命を直視し、これに対処する道を厳粛に、しかも楽しみつつ考えたいものである。・・・・・・松下幸之助
 2006年 4月29日(土) くもり
 顧客の声を聞きつつ迎合しない。顧客の言いなりになることが顧客志向ではない。顧客の声を選択的に聞くこと、その選択基準を持つことが大切である・・・・・加護野忠男(大学院教授)
 2006年 4月28日(金) くもり
 発想の原点なんて単純なことで、みんなが考えていることにすぎない。要は、やるか、やらないかの違いだけ・・・・・大久保秀夫(新日本工販社長)
 2006年 4月27日(木) 雨のちくもり
 人間は皆小さい時に夢を持って生きている。子供は本当に無邪気な笑顔なのに、大人になると考えながら笑うようになる。そこに人生の渋みがあるのかもしれませんが、私は良寛や一休、寒山拾得のように自然体でニコニコしていられるのが人間の理想だと思います。・・・・・海田悠(写真家)
 2006年 4月26日(水) 晴れ
 廊下を歩いている時に庭を見て「あそこに草が一本生えているから取れ」と幸田露伴が娘の文に言った。文さんが、「面倒くさいからもっとたまってから取ります」って言ったら、「一本生えたら一本取れ。そうすれば、いつも庭には草が一本もないんだ」と。
 2006年 4月25日(火) 晴れ
 今日、富は社会に対する責任につながっていない。無責任というのは、たとえ富を伴わなくてもきわめて有害である。科学文明は、暇を人間に押し付けることによって、人間に大きな不幸をもたらした。癌や精神病と闘っても勝ち目がないように、怠惰と無責任によって起こる結果とも闘うことはできない。・・・・・アレキシス・カレル(ノーベル生理学・医学賞受賞)
 2006年 4月24日(月) 晴れ
 食べ物にしても情報にしても、いらないものをとらないということは僕の中では大切なことです。そうしないと絵も無駄な線が多くなる。作品の中で無駄なものを無くしたいんですね。自分自身の生活から律していかないとそれは絶対に表現できないと思うんですよ・・・・・片岡鶴太郎
 2006年 4月23日(日) 晴れ
 今日は、きんたろう倶楽部結成記念に参加。養老孟司氏(東京大学名誉教授・著書「バカの壁」等)の特別記念講演に感動。

・現代人は画一化されてきていると言われるが、色々な個性がある。しかし、人を見る目がないために何でも同じに見えてしまうのである。
・我々は、何とか人(の個性)を同じにまとめようとする。なぜなら、そのほうがラクであるからである。
・子々孫々を考えると、石油は下がらない。埋蔵量は限られているし、人口が日本の10倍以上の隣の中国が日本と同じように使うようになれば、枯渇するのは目に見えている。長期的視野に立ち、エネルギーを地産地消できるシステムに作り変えていく必要があり、その手段としての「きんたろう倶楽部」
・むかしの老人は、若い人をキチンと正面から見ていた。現代の年配の人は、若い人を見る事をサボっている。
・ニュースとは、決して新しいものでなく、過去の物を報道しているに過ぎない。過去を見ながら後ろ向きに歩いている現代人は、先行きが不安なのは当たり前の事である。
・今、我々に、見る目(自分のものさし)があるか?と言うことが問われている。
 2006年 4月22日(土) 晴れ
 一日楽しみたければ美容院に行きなさい。一ヶ月楽しみたければ結婚したらいい。一年楽しみたければ家を建てたらいい。一生楽しみたければ誠実にいきなさい。・・・・・田村魚菜(ぎょさい)料理研究家の母の言葉
 2006年 4月21日(金) 土砂降り後くもり
リンドバーグ夫人『海からの贈物』
 島というのは、なんと素晴らしいものだろう。(本土と繋ぐ橋も、電話もなく、世間での生活から切り離されている島。時間的な意味での島でもよい。)
 過去と未来は切り離されて、ここには現在だけしかない。そして現在の中でだけ生きていることは、島での生活をひどく新鮮で純粋なものにする。
 「ここ」と「今」しかない時、子供、或は聖者のような生き方をすることになり、毎日が、そして自分がすることの一つ一つが時間と空間に洗われた島であって、どれもが島も同様に、それだけで充足した性格を帯びる。
 そういう空気の中では、人間も島になって充足し、落ち着きを得て、他人の孤独を尊重してこれを犯そうとせず、別な一箇の個人という奇蹟を前にして自然に一歩後へ足を引く。「人間は島ではない」とジョン・ダンは言ったが、私は我々人間が皆島であて、ただそれが同じ一つの海の中にあるのだと思う。
 2006年 4月20日(木) 土砂降り後 晴れ
 不平等こそ、社会の発展、人間個人の資質と倫理の向上、社会の自由と個人の自由の源泉であり土壌です。不平等なしには、社会は停滞し、倫理道徳は一掃され、自由は枯渇するしかありません。・・・・・中川八洋(筑波大学教授)
 2006年 4月19日(水) 晴れ
 「売れる営業マン」というのは、私は思いやりのある人だと思います。一緒にいて、どうやったらこの人はもっと喜ぶかな、どうやったらこの人はもっと幸せになるかなと考えられて、気づける人です。・・・・・和田裕美(ペリエ社長)営業の達人。
 2006年 4月18日(火) くもり
 心やさしくあたたかい男性こそが真に男らしい頼りになる男性なのだということに気づくとき、たいていの女はもうすでに年老いてしまっている。・・・・・池田理代子(漫画家)
 2006年 4月17日(月) くもり
 人は物事が思うように運ばないと悔しい思いを抱きますが、悔しいでは駄目。恥ずかしいと思うことのほうが大事だと思います。みっともない、顔向けできない、こういう思いがあると忍耐力につながります。・・・・・鍵山秀三郎(イエローハット相談役)
 2006年 4月16日(日) くもり時々雨
 (五輪に出場する小谷選手も早朝5時30分頃集まってプール掃除する事について)五輪に行く選手だからするんです。下の子たちが磨いたプールで上の子たちが泳いでいるようでは駄目。上の子がしていることを、下の子たちに見習わせています。・・・・・金子正子(日本水泳連盟シンクロ委員長)
 2006年 4月15日(土) くもり
 友情のつとめを果たすためには、何斗もの塩を舐めねばならない【友として長く交友を結んで行くためには大変な努力が必要である。その覚悟がなければ、いつまでたっても生涯の親友などできはしない。】・・・・・ギリシャのことわざ
 2006年 4月14日(金) くもり
 自分が立っている所を深く掘れ。そこからきっと泉が湧き出る・・・・・高山樗牛(ちょぎゅう=明治の思想家)【人生は、見通し通りに事柄が運ぶということが金輪際ありえない。先を嘆いたり、終ったことをくよくよしていても意味がない。だから「いま、ここ」を心明るく楽しく生きることが人間にとって最高のことなのである。】
 2006年 4月13日(木) 雨
 人は家に生まれ、家を守り、家に死ぬ。家には親があり子があり、家族がある。この中でこそ人は生くるのじゃ。人に家がなく家族がなければ、その人こそは他人の家をも家族をもかえりみぬ男となろう。・・・・・池波正太郎『さむらい劇場』
 2006年 4月12日(水) 晴れ
 一つ一つの事実を、分かることは分かる、分からないことは分からないとして自分の中に受け止めていくことが大事なのです。分からないことを分かったとして取り込んでいくと、確実なものがつかめなくなってしまう。・・・・・養老孟司(解剖学者)
 2006年 4月11日(火) 雨
 日常生活を充実したものにするとは、一体何なのかと言えば、結局自己のなすべき仕事を、少しの隙間もおかずに、着々と次から次へと処理して行くことだと言ってもよいでしょう。すなわち、少しも仕事を溜めないで、あたかも流水の淀みなく流れるように、当面している仕事を次々と処理していく。・・・・・森信三『修身教授録』
 2006年 4月10日(月) 雨
 あまりにも現代の男は気がまわらなくなっている。女がまわらないのは昔からそうだけれどもね。第一、男が気をまわすのは恥みたいなことになってきている、今の世の中は。食い物のことでも、逆なんだよ。男のくせに台所へ入るなどいやしいなんて、かえっていやしいんだよ。食い物のことなんて男は口にすべきじゃないなんて、裏返しなんだ。そういう奴に限って、むろん例外はあるけれど、男として大したものじゃないことが多いんだよ。・・・・・池波正太郎『男の系譜』
 2006年 4月 9日(日) 晴れ
 会社の差別化とよく言いますが、差別化とは人のやらないことをやることです。・・・・・・原邦夫(メリーチョコレート社長)
 2006年 4月 8日(土) 雨
 労働は神聖なもので、決して無駄になったり骨折り損になったりするような安っぽいものではない。正直な労働であれば、枯れもせず、腐りもせず、天が預かってくれる。天に貸しておけば決して貸倒れにならぬ・・・・・森村市左衛門(森村組創業)
 2006年 4月 7日(金) 晴れ
 親孝行というものは、かゆいと訴えられてから掻いたのではダメだ。大方、この辺がかゆかろうと察して、催促がないうちに掻いてあげる心掛けがなくてはならぬ。・・・・・鮎川義介(日産グループ創始者)
 2006年 4月 6日(木) 晴れ
リーダーは五つの顔を持て・・・・・上山保彦(住友生命元社長)
1. 何をやるにも話すにも、みんながはっきり理解出来るような筋が一本通っていること。哲学と呼んでもいい。現状に満足していない心のうずきが汲み取れればいい。
2. 戦争であれ麻雀であれ、ここで勝負が決まるという瞬間がある。それを事前に察知して、先手を打つ攻め方に熟練すること、それが戦略であって最終的に度胸が要る。
3. 一番難しいのは部下に対応する方法である。会社は、社員一同の「やる気」で持っている。では、やる気を起させるにはどうすればよいのか。上司や同僚に認められ励まされ期待される事である。
4. 人間は決してある段階にとどまっていない。落ち込んで駄目になるか、ますます向上するか、二つに一つだ。勉強すれば、努力すれば先行き良い事があるぞ、と口に出さねど態度で示す。
5. あの人と飲んだ酒は美味い、といわれるようになったら、それで立派なリーダーの出来上がりである。
 2006年 4月 5日(水) 雨
 他人の判断によりかかっていれば、自分は変わらずにすむ。・・・・・ダイヤー『自分のための人生』 (ここでの変わらないということは、否定的な意味。つまりキチンと自分を打ち出さなければいけない。)
 2006年 4月 4日(火) 曇り
(ガンで余命6ヶ月と診断され、その後、手術で回復)「一日一日を人生最後の日だと思って暮らせば、確実に正しい道を歩める」
そして毎朝起きると、鏡に映った自分に「今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいと思うか」と自問する。・・・・・スティーブ・ジョブズ(アップルコンピューターCEO)
 2006年 4月 3日(月) 雨のち曇り
 「なにごとも初めが肝心。奥さんに遠慮なんかしちゃだめだよ。料理がまずかったら、お膳ごとひっくりかえすといい。僕なんか、ずいぶんやったものだよ。遠慮していると、一生まずい飯を食わされることになるからね」・・・・・池波正太郎
 2006年 4月 2日(日) 曇りのち雨
 名と身といずれか親(した)しき。身と貨といずれか多(た)なる。得ると亡(うしな)うといずれか病(へい)なる。甚(はなは)だ愛すれば必ず大いに費やし、多く蔵(ぞう)すれば必ず厚くうしなう。足るを知れば辱(はずか)しめられず、とどまるを知ればあやうからず、以て長久(ちょうきゅう)なるべし。【名誉と身体と、どちらが大切なものであろうか。では身体の健康と財貨とは、どちらが多くある方がいいだろうか。得ると失うとは、どちらが悩み苦しいことであるか。(こう考えると、身体の健康を得ることが一番大切ということになる)。ところが身体というものは、名誉や財産に愛着することが甚だしければ、必ず大いに消耗し、名誉や財貨を多く蔵し過ぎると、必ず自分の身をも失うような結果になる。足るを知れば辱められない。止まるを知れば危険に陥ることもない。足るを知り、止まるを知ることによって、人は長く久しく、健康に保つことができるのである。】・・・・・老子
 2006年 4月 1日(土) 晴れ
 偶然は用意された心に恵まれる。・・・・・パスツール【事前準備(勉強も含め)の大切さ】

2006年 3月


 2006年 3月31日(金) 雪のちくもり
 人にものを教えるときは、教えているような顔をするな。その人が知らないことは、たまたま忘れたことにしてもち出せ。謙遜の不足は良識の不足によるものだから。・・・・・ベンジャミン・フランクリン
 2006年 3月30日(木) 曇り時々雪
書経『トップが目指す九徳』

一、寛(かん)にして栗(りつ)【寛大だが、しまりがある(逆=こせこせうるさいくせに、しまりがない)】 
二、柔(じゅう)にして立(りつ)【柔和だが、事が処理できる(逆=とげとげしいくせに、事が処理できない)】 
三、愿(げん)にして恭(きょう)【まじめだが、ていねいで、つっけんどんでない(逆=不まじめなくせに尊大で、つっけんどん)】
四、乱にして敬(けい)【事を治める能力があるが、慎み深い(逆=事を治める能力がないくせに、態度だけは居丈高)】
五、擾(じょう)にして毅(き)【おとなしいが、内が強い(逆=粗暴なくせに、気が弱い)】
六、直(ちょく)にして温(おん)【正直・率直だが、温和(逆=素直にものを言わないくせに、内心は冷酷)】
七、簡(かん)にして廉(れん)【大まかだが、しっかりしている(逆=何もかも干渉するくせに、全体がつかめない)】
八、剛(ごう)にして塞(そく)【剛健だが、内も充実(逆=見たところ弱々しく、内もからっぽ)】
九、彊(きょう)にして義(ぎ)【強勇だが、義しい(逆=気の小さいくせに、こそこそ悪事を働く)】
 2006年 3月29日(水) 曇り時々雪
主人は一家の模範なり、
我れよく勤めなば衆何ぞ怠らん、
我れよく倹ならば衆何ぞ奢らん、
我れ克く公ならば衆何ぞ敢て私せん、
我れ克く誠ならば人なんぞ偽らん                 ・・・・・安田善次郎(安田財閥創始者・富山出身) 【率先垂範がリーダーの第一条件】
 2006年 3月28日(火) 晴れのち雨
 多くの人は皆、成功を夢見、失敗しない事を望んでいますが、開拓精神によって自らが新しい世界に挑み、失敗・反省・勇気という3つの道具を繰り返し使うことによってのみ、最後の真の成功という結果に達することができるのだと、私は信じています。・・・・・本田宗一郎(ホンダ創業者)
 2006年 3月27日(月) 晴れ
 男は何で自分をみがくか。「人間は死ぬ」という、この簡明な事実をできるだけ若いころから意識することにある。もう、そのことに尽きます。何かにつけてそのことを、ふっと思うだけで違ってくる。自分の人生が有限のものであり、残りはどれだけあるか、こればかりは神様でなきゃわからない。そう思えばどんなことに対しても、おのずから目の色が変わってくる。そうなってくると、自分の周りのすべてのものが、自分を磨くための「みがき砂」だということがわかる。逆に言えば、人間は死ぬんだということを忘れている限り、その人の一生はいたずらに空転することになる。仕事、金、時間、職場や家庭あるいは男と女のさまざまな人間関係、それから衣食住のすべてについていえることは、「男のみがき砂として役立たないものはない。」ということです。その人に、それらの一つひとつをみがき砂として生かそうという気持さえあれば。・・・・・池波正太郎『男の作法』
 2006年 3月26日(日) 晴れ
 人はきれいな衣装で意飾っている。だが正体は裸である。そこで本質は裸だ、実態は皮膚だと言っても意味がない。その上に着た服装や身のこなしが人物を表わしているときだってある。正体よりもその外側が力を持っている場合もある。それどころかその外側が本質を形作っている場合さえある。大切なのは、表と裏、うわべと本質の両方を見て、その中間にある真実を見つけることなのだ。・・・・・谷沢永一(作家)
 2006年 3月25日(土) 晴れ
 本を読みながら、ノートを傍らに置いて、覚えておきたいと思った意味深い箴言をそこに書きとめておくのは好もしいことである。何時か気持がふさいだ時など、これを眺めれば、書きとどめられた賢者たちの思索は、生きてゆくのを助けてくれるだろう。・・・・・アンドレ・モロア(伝記作家)
 2006年 3月24日(金) 晴れ
 お釈迦様が死ぬ間際、弟子たちが「今、あなたに死なれたら困る。これから、私たちは何を頼りに生きていけばいいのですか」と泣きすがった時、弟子達に残した言葉が「自灯明(じとうみょう)」《自分に頼れ》なのです。これは「釈迦を灯明とするな、自分自身を灯明として生きなさい」ということです。人間、最後に頼らなければならないのは、金でも地位でも名誉でもない。最後のよりどころは自分の心ですよ。・・・・・館林三喜男(リコー元社長)
 2006年 3月23日(木) 晴れ
 他人の繁栄をはからなければ、自らも栄えない。私はそれを「善の循環」と呼んでいる。個人や企業の繁栄がそのまま社会の繁栄へとつながっていく。池に石を投げると波紋が大きな輪になって広がっていくように。・・・・・吉田忠雄(YKK設立)
 2006年 3月22日(水) 晴れ
 人間って「自分だけが苦しい。なんで自分だけ」と思っているうちは問題を乗り越えられないんです。でも、自分だけじゃない、他の人も頑張っていると思うと力が湧いてくるんです。・・・・・鈴木秀子(文学博士)
 2006年 3月21日(火) くもり
 他人と憎しみ合うために生まれてきたのではなくて、愛し合うために、この世に生まれてきた。・・・・・アインシュタイン
 2006年 3月20日(月) くもり
 モス(MOS)には、MOUNTAIN(山のように気高く堂々と)、OCEAN(海のように深く広い心で)、SUN(太陽のように燃え尽きることのない情熱を持って)という意味があります。創業者は人間・自然への限りない愛情と、このような理想の人間集団でありたいという願いを込めて、この社名を付けました。・・・・・櫻田厚(モスフードサービス社長)
 2006年 3月19日(日) 雨のちくもり
 玉は琢磨(たくま)によりて器(き)となる、人は練磨により仁(じん)となる、何(いずく)の玉かはじめより光有る、誰人(たれびと)か初心より利なる。必ずみがくべし、すべからく練(ね)るべし。自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ。【玉は磨くことで初めて価値がでる。人も自らを磨き鍛錬して初めて真の人となる。世の中に初めからすぐれた働きをする人がいようか。とすれば、必ず磨き、鍛錬すべきである。決して能力や素質がないと自らを卑下して道を学ぶ努力を怠ってはいけない。】・・・・・道元『正法眼蔵随聞記』
 2006年 3月18日(土) 曇りのち雨
 学生と社会人の違いはどこか。学生は自分のしたいことのためにお金を払うが、社会人は時には好きでないことをやってお金をもらう。でも、これを相手の好きなことをしてあげて、お金をもらえるように変えようよ。・・・・・小森伸昭(アニコムインターナショナル)
 2006年 3月17日(金) 雨のち晴れ
 あなたが不平を言ったからとて、どうにもなりはしない。そして、私は不平の雨にびしょぬれになり、この雨は家のなかまで追いかけてくる。さあ、雨降りのときこそ、晴ればれとした顔が見たいものだ。だから、悪い天気の日には、いい顔をすること。・・・・・アラン『幸福論』
 2006年 3月16日(木) 晴れのち雨
 正直と誠実以上に、貧しい人間が社会的に成功するのに役立つ徳はないということを、若い人たちに納得させたい。・・・・・ベンジャミン・フランクリン
 2006年 3月15日(水) 晴れ
 男というものは宰領しなくてはいけない。食いもののこと、家族のつきあいのことのみならず、すべてに関して。男がそれをしないと、全体的に家というものがくずれてくるんだよ。そして家というものがくずれると、その男は不幸になっちゃうんだよ。家庭が駄目になっても、その男だけが立派だなんていうことは絶対にありえないんだ。・・・・・池波正太郎『男の系譜』
 2006年 3月14日(火) 雪
 去年やおととしと変わらない自分であるならば、自分が受け取るべき運命もまた同一であるはずだ。つまり、新しい自分がつくり出されていないかぎり、新しい運命を獲得することはできない。理屈をつけて昨日の自己を保護弁護しながら、しかも結果だけは昨日よりもよいものを得ようというのは虫がよすぎる。決然として古い自己と決別し、大きく生まれ変わった新しい自己を発見しよう。・・・・・幸田露伴『努力論』を読む
 2006年 3月13日(月) 雪
 私はよく社員に「魚屋のおやじになれ」という。いつも新鮮で旬の商品をタイミングよく並べていれば、お客様は喜んで買ってくれる。技術の世界も同じだ。「鮮度」と「旬」と「マーケティング」が基本。・・・・・佐藤研一郎(ローム創業)
 2006年 3月12日(日) 雨のち雪
 青春時代にいくつ褒められたかで、人間の一生は決定するような気がする。・・・・・山田洋次
 2006年 3月11日(土) くもり
 今日は、ロータリークラブのIMでインテック会長の中尾さんの講演を聞く。このような素晴らしい講演を聴くことができ、富山西ロータリークラブに入っていて本当に良かったと思う。

・我々の会社は、地域に育てられてきた。
・日本には、弱者に対する配慮がなくなってきた。
・「若返り」の弊害は、歴史を軽視する風潮と先輩を敬わなくなってきた。
・人間の中で、一番大切な感情は、同情心と羞恥心である                  ・・・・・ソロヴィヨフ(ロシアの哲学者)
・神よ 変えることのできないものはそれを受け容れるだけの心の落ち着きを与え給え。
     変えることができるものについては、それを変えるだけの勇気を与え給え。 そして、
     変えることのできるものとできないものを見分ける知恵を授け給え。       ・・・・・・エティンガー(ドイツの神学者)【寛容さと、勇気と、それを見分ける英知を与え給え】
・倫理がなければ、資本主義が終る。                              ・・・・・・・マックス・ウェーバー(ドイツの経済学者)
 2006年 3月10日(金) 晴れ
「顔にお白粉を塗れば十分なので、心にまで塗る必要はない。」「いつかできることはすべて、今日でもできる」・・・・・モンテーニュ(思想家)
 2006年 3月 9日(木) 晴れ
 行路何ぞ世の譁(かまびす)しさを避くるを須(もち)いんや 書生到る処 計りごとすなわち 香iはて)あり 紅塵(こうじん)の市上 営々たる苦しみ 正に是れ 泥中の君子花たれ   【君たちがこれから厳しい世の中を渡ろうとするとき、いつも心静かに騒がしい世間を避けて生きることが出来るであろうか。あるいは生きるべきであろうか。君たちがどのように努力をしても行く先々で色々なことが起きるであろう。しかし、どんなに渡世のために多くの計り事をしても、そこには限界というものがあるはずである。わずらわしい俗世間を生きる上においては、世評を気にしたりあくせくと利を求める苦しみもあるであろうが、その中にあって正しく生きる姿こそ、正に泥中(でいちゅう)の蓮の花のような清らかなものなのである。】・・・・・福沢諭吉

上記は、福沢諭吉が慶応の卒業生に対し贈った言葉である。今は、卒業するまでに泥の中に埋没してしまっている若者が多すぎる・・・・・・
 2006年 3月 8日(水) 晴れ
 持続ということは美徳だったわけです。つい十年くらい前までは、物事を持続するということが立派な美徳だった、人間の世界の。それがなければ、努力の積み重ねというものも意味をなさないんだから。世の中というものが持続して行くから、一生懸命に働いてお金も溜めるし家も建てようと頑張る、一般の人の場合。それが、こういう世の中になっちゃった。だから、持続しなければいかんということが全体的に失われてきているんだね、あらゆるところから。持続するということに対して、いろんな反応があるけれど、どうせ持続しやしないんだからと諦めてしまっていたり、いつどうなるかわからないのなら、いまのうちにと思ってガブガブやっちゃったり・・・・・いろんな形で持続するということを世の中のすべて認めなくなっているわけです。そういう世の中になっちゃった。・・・・・池波正太郎『男の系譜』
 2006年 3月 7日(火) 晴れ
 根本は何かというと、てめえだけの考えで生きていたんじゃ駄目だということです。多勢の人間で世の中は成り立っていて、自分も世の中から恩恵をうけているんだから、「自分も世の中に出来る限りは、むくいなくてはならない」と。それが男を磨くことになるんだよ。・・・・・池波正太郎『男の作法』
 2006年 3月 6日(月) 雨
 商いだけでなく、もの作りの道でも、芸術の道でも、「人生に成功する早道を一つだけ挙げろ」と聞かれたら、私は、「どれだけ人間が好きか」ということを挙げます。人間が生きている様子、泣いている様子、笑っている様子、怒っている様子、喜んでいる様子、人間のすべてをながめて、すべてに係りたいと考えている人は、半ば成功したも同然です。・・・・・伊藤雅俊(イトーヨーカドー名誉会長)
 2006年 3月 5日(日) 晴れ
・男は全部、心の中では一流の二枚目と思っている。・・・・・中山素平(元興銀頭取)
・顔の表情だとか声の質といった膨大な情報の中で、言葉の内容が伝える情報は全体の7%しかない。最も信用できないのが言語だ。・・・・・アルバート・マレービアン(心理学者)
 2006年 3月 4日(土) 晴れ
 ご縁を拡げられる人は相手の立場に立てる人である。【昭和53年当時、札幌にある百貨店・松阪屋さんの中に松下電器のショールームがありました。そのショールームが撤退するとき、次に使用する人の事を考え、破損箇所の修理はもとより、清掃まできっちりとした心のこもったものであったとの報告を担当者から受け、松下電器さんの日頃の社員指導による社風の表れと非常に感銘を受けました。そこで早速、その気持を手紙に綴り、松下幸之助さんに出したところ、次のようなお手紙をいただきました。「当然のことをごく自然に行っただけにもかかわらず、お褒めの言葉をいただき、ありがとうございました。そんなことがご多忙を続けておられるあなた様のお耳にまで入るということは、経営において最も大切な、社内における円滑な意思疎通が立派に行なわれていることの証だと思います。それが今日の御社を築き上げられたのだと感じ入っています。お手紙は、わが社の社長をはじめ経営幹部にも見せまして、経営強化の貴重な教材に活用させていただく所存です」・・・・・伊藤雅俊(イトーヨーカドー名誉会長)
 2006年 3月 3日(金) 雪のちくもり
 夢があるというのは確かに素晴らしい。ならば夢のないやつはどうすればいいか。とにかく目の前の人を喜ばせることを考えればいい。それを一生懸命続けていけば、おのずと自分の役割にたどり着くんだ。・・・・・中村文昭(クロフネカンパニー社長)の人生の師田端さん
 2006年 3月 2日(木) 曇りのち雪
13の徳目・・・・・ベンジャミン・フランクリン
 1、節制  (頭が鈍るほど食べないこと。酔って浮かれだすほど飲まないこと。) 
 2、沈黙  (他人または自分自身の利益にならないことはしゃべらないこと。つまらぬ話は避けること。) 
 3、規律  (自分の持ちものはすべて置くべき場所をきめておくこと。) 
 4、決断  (やるべきことを実行する決心をすること。決心したことは必ず実行すること。) 
 5、節約  (他人または自分のためにならないことに金を使わないこと。 
 6、勤勉  (時間をむだにしないこと。有益な仕事につねに従事すること。必要のない行為はすべて切り捨てること。) 
 7、誠実  (策略をもちいて人を傷つけないこと。悪意をもたず、公正な判断を下すこと。発言するさいも同様。) 
 8、正義  (他人の利益をそこなったり、あたえるべきものをあたえないで、他人に損害をおよぼさないこと。) 
 9、中庸  (両極端を避けること。激怒するに値する侮蔑をたとえ受けたにせよ、一歩その手前でこらえて激怒は抑えること。) 
10、清潔  (身体、衣服、住居の不潔を黙認しないこと。) 
11、平静  (小さなこと、つまり、日常茶飯事や、避けがたい出来事で心を乱さないこと。) 
12、純潔  (性の営みは健康、または子孫のためにのみこれを行なって、決してそれにふけって頭の働きを鈍らせたり、身体を衰弱させたり、自分自身、または他人の平和な生活や信用を損なわないこと。) 
13、謙譲  (キリストとソクラテスにみならうこと。)
 2006年 3月 1日(水) 雨
 左の庭は、一昨日完成した、中庭改修工事の写真である。殆ど機械が使えず、すべてが人力であり、本当に苦労する。

広瀬淡窓が安井息軒の娘、少琴(しょうきん)にプロポーズした時、したためた返事の詩

 扶桑(ふそう)第一の梅
 今宵 君がために開かんとす
 花の真意を識らんと欲すれば
 三更 月を踏んで来たれ


【日本で一番美しい梅の花、つまり私の心が、今宵、あなたのために、この蕾を開こうとしています。私が、いかなる思いを胸に秘めているか、あなたが知りたいと思(おぼ)し召(め)すなら、真夜中に月影を踏んで、ほとほととわが庵を訪ね給え。】

我家の庭の梅はまだまだ咲かぬが、この様な恋を一度はしたいものである・・・・・・・・

2006年 2月


 2006年 2月28日(火) くもり
 昔の偉人の伝記を読むならば、彼らはすべて自らを責めて他を恨むような人でないことがわかる。それにひきかえ、不祥事を起こしたり悪運に見舞われた人たちを調べてみると、ことごとく自らを責める事をせずに、他人ばかり恨んだりする心の弱い人間であることがわかるであろう。・・・・・幸田露伴『努力論』を読む
 2006年 2月27日(月) くもり
 (山岡鉄舟と清水次郎長とのやりとり)鉄舟が次郎長に「お前は随分と子分をもっているけれど、そのうち何人がお前のために体を張ってくれるかね」ときくと、「残念ながら一人もおりません」と答えた。鉄舟が怪訝な顔をすると、次郎長はいった。「しかし、わしでしたら、子分どものために何時でも命を投げ出す覚悟ができておりやす」
 2006年 2月26日(日) 雨
 社員は単に儲かっている企業に勤めているというだけでは満足しない。社会に貢献しているか、尊敬されているか、ライバルに勝ち、勝つことに誇りを感じられるかなどです。・・・・・アン・マルケイヒー(米ゼロックス会長・女性)
 2006年 2月25日(土) 晴れ
 私が一番思い出に残っているのは、創業以来続いてきた「曙」のロゴデザインを変えた時です。社内で色々検討してみましたが、なかなかいいアイデアが浮かばない。最後には社長の私が直筆で書くのがいいという話になって、書いてみたんですが納得するロゴはできません。すっかり忘れていた頃部屋のテーブルの上の半紙に躍動するような「あけぼの」の字が書かれていました。それはまさに私が求めていた字だったんです。腹の中から温かさが込み上げてきまして、自然に涙が流れました。智子(ダウン症の娘)が知らない間に私の部屋に入って、私の字を真似て書いたものでした。・・・・・植草三樹男(あけぼの会長)
 2006年 2月24日(金) 晴れ
 バレリーナの稽古は、技術を磨くことではなくて、自分を磨くことです。終わりのない自分との闘い・・・・・吉田都(バレリーナ)
 2006年 2月23日(木) 雨のちくもり
 伝える力って重要です。決して話し上手ということではなく、心に言葉を届けるというか、本当に相手に誠意を伝えるとなると、これはもう生き方の問題です。・・・・・林文子(ダイエー会長兼CEO)主婦から、31歳で、車のトップディーラーに。その後、昨年、ダイエー会長に
 2006年 2月22日(水) 晴れ
 一人の力で事業が成功することは絶対にない。一人の力が他人の協力を得たとき、はじめて事業は成功する。そして、協力を得られるのは、鋭さではなくて人格の力である。・・・・・清水雅(阪急電鉄元相談役)
 2006年 2月21日(火) 晴れ
 人相というものは朝と晩とでも変わる。自分の心の状態を恐ろしいほど敏感にうつし出す。だから、人相は始終変わる。たとえば、極めて不運な人相をしている人が社会へ出て永久にそのままかというと、決してそうではない。自分の心がけ一つで、自らの相をなおして開運する事ができる。今の若い人達は一笑に付すかもしれないが、これは本当だ。もし、嘘だと思うなら、早速、明日から鏡に写る自分と対話を始めてみるといい。それはやがて、自分の心との対決であることに気がつくだろう。私は、この鏡と自分との対決を六十余年間、一日として欠かしたことはない。それでもまだ、修行が足りないから、高僧のような風貌には達していないが、少なくとも前日の不快をもち越すようなことは絶対にない、と断言できる。また、人と折衝したり、人に注意を与える場合なども、まず鏡に向かって自分の相を整えるがよい。鏡は常に無言だが、人の心を赤裸々に写し出してくれる。・・・・・司忠(丸善元相談役)
 2006年 2月20日(月) くもりのち雨
 我々は、いくら人から好かれようと努力しても、すべての人から好かれるわけにはゆかない。それは、我々があらゆる人を分け隔てなく愛しようとしても、絶対にそうはゆかないのと同じである。そんなことは仏陀やキリストでなければ出来はしない。我々は人間である限り、特別に好きな人やどうしても好きになれない人が出来てくるのは当然である。大切な事は自分の好きな人が、すぐれた人、立派な人であることだ。・・・・・河盛好蔵
 2006年 2月19日(日) 晴れ
WHO―世界保健機構の健康の七つの条件
 1、何を食べてもうまい。 2、よく眠ることができる。 3、すぐに疲れを覚えない。 4、快い便通がある。 5、風邪気味でない。 6、体重がかわらない。 7、毎日が楽しく、明るい。
 2006年 2月18日(土) 晴れ
 勝負の決め手は引く手にあり(企業の本質は常に冒険である。事業とは、寄せては返す波打ち際に身をさらす賭博である。高潮を一刻も早く予見して、瞬時に身の安全を講じなければならない。7分勝って3分負ける。その難局を知るものが、実は本当の名将なのである。)・・・・・吉田忠雄(YKK創始者)
 2006年 2月17日(金) くもりのち小雪
 女房だろうと誰であろうと、人間を愛するためには、ある程度、噛まずに丸のみにしなくてはダメだ。牛肉だって、あまり長く噛んでいると、うまくも何もないカスになってしまう。・・・・・石川達三(作家)
 2006年 2月16日(木) くもりのち雨
 足を踏んでいる者には踏まれている者の痛みはわからない。・・・・・鶴見俊輔(哲学者)
 2006年 2月15日(水) くもり
 人間は一茎の葦(あし)にすぎない。自然のうちでもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である。かれをおしつぶすには、全宇宙が武装するにはおよばない。ひと吹きの蒸気、ひとしずくの水が、かれを殺すのに十分である。しかし、宇宙がかれをおしつぶしても、人間はかれを殺すものよりもいっそう高貴であろう。なぜなら、かれは自分の死ぬことと、宇宙がかれを超えていることとを知っているが、宇宙はそれらのことを何も知らないからである。
 そうだとすれば、われわれのあらゆる尊厳は、思考のうちにある。われわれが立ち上がらなければならないのは、そこからであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えるようにつとめよう。これこそ道徳の本源である。・・・・・パスカル
 2006年 2月14日(火) 晴れのち雨
 女性に逢った時は、山の林の中で虎に逢った時と同じだ。男にとっても、女にとっても、常に危険は絶えないのである。【現代文明社会で人間をよみがえらせるのは原始的性本能である。】・・・・・D・H・ローレンス(イギリスの作家)
 2006年 2月13日(月) 晴れ
 わしは貧しい家に生まれたおかげで、なんとかここまでこれたよ。考えてみると、貧乏ほどありがたいことはない。金銭に執着してはいかん。カネはいやしい。明るく、世を渡る努力をすることだ。わしの今日があるのも、天の心というものだ。それなら、こちらも社会に奉仕せにゃいかん道理だ。誠を尽くすということだ。その字を見ろ。言うことを成せという意味なんだよ。・・・・・豊田佐吉(トヨタ創業者)
 2006年 2月12日(日) 雪のちくもり
 「投げられた ところで起きる 小法師(こぼうし)かな」・・・・・・青山俊童(無量寺住職)【起き上がり小法師、つまりだるまさんがポーンと投げられた。そこがいかなる場所であろうとも、正念場として、起き上がる。腰を据えてまっすぐ正面を見据える、という意味。】
 2006年 2月11日(土) くもり
 人を大切にし、大事にするということは、人に喜びを与えることである。金や物も必要ではあるが、なによりも人を大切にすることである。
 人の欠点が目に付く間は駄目です。それらの欠点が、飾りに見えてくれば、ほんものでしょう。            ・・・・・『生きよう今日も喜んで』平澤興
 2006年 2月10日(金) 晴れ
 美しいから愛しているのではなくて、愛しているから美しい。・・・・・熊田千佳慕(生物画家)
 2006年 2月 9日(木) 雪のち晴れ
 常に温かい部屋にいて、外出する時はエスキモーのように着込む。食物は腹いっぱい食べ、眠りたいだけ寝て、何の責任もなく、決して知的、道徳的努力をせず、面白いと思う事だけ学んで、何かと闘ったこともない。その結果はあまりにも明らかである。概して、彼らは感じがよくて容姿も整っており、強いことも多いが、疲れやすく非常にわがままで、知的な鋭さや、道徳観念、神経の抵抗力がない。これらの欠陥は祖先から受け継いだものではない。適応性のような重要な機能は、使わずにおけば必ずその報復を受けるのは全く明らかである。運動選手を鍛える代わりに現代人を作り上げねばならない。そして現代人は、筋力よりも神経の抵抗力、知性、道徳的エネルギーを必要とする。これらの素質を獲得するには、努力と苦闘と鍛錬が必要である。結局、文明の目的は科学と機械の進歩にあるのではなく、人間の進歩にあるのだ。・・・・・アレキシス・カレル(ノーベル生理学・医学賞受賞)
 2006年 2月 8日(水) くもりのち雪
 とても寒い一日。しかし、秋篠宮様の御懐妊のニュースが心を温かくする。左の写真は、プリンセス・キコ(ランの一種)。

    自戒   石川 洋
 つらいことが多いのは 感謝をしらないからだ
 苦しいことが多いのは 自分に甘えがあるからだ
 悲しいことが多いのは 自分のことしか分からないからだ
 心配する事が多いのは 今をけんめいに生きていないからだ
 行き詰まりが多いのは 自分が裸になれないからだ
 2006年 2月 7日(火) くもり
 社員にとって職場は最大の「縁」であり、社風が悪いと悪縁に触れてその人の人生はどんどん悪化していきます。つまり、人間はみずからの中に「良いもの・悪いもの」の両面を持ち、それが縁や環境によって影響を受けるのです。良い縁に出会うと、良縁にひかれて自己を光輝かせ、自分でも予期しなかった人生を送ることになるのです。・・・・・田舞徳太郎
 2006年 2月 6日(月) くもり
  母からの手紙・・・・・山田方谷
母からの一通の手紙、手紙にこもる母のありがたみ。
門にもたれて、我が子の帰りを待ちわびる母がいた
その母の愛にもまさる思いがこの手紙ににじんでいる。
前文わずか十五行。書いてあることは、
学問にはげみなさい、体には十分気をつけて、と、だけ。
 2006年 2月 5日(日) 雪のちくもり
 各個人は環境や家や、家族や友人に、自分の刻印をつけている。まるで、自分に取り囲まれているようにして生きている。そして自分の行動を通じて、子孫に自分の素質を伝える。子供は長期間両親に依存しているから、両親が教えることを何でも学ぶ時間が十分にある。そこで、先天的に持っている模倣する能力を用いて、両親のようになろうとする。子供は両親の真の姿を真似るのであって、社会生活でつけている仮面を真似るのではない。人間の文明は、こういう人たちによって創りだされたのである。・・・・・「人間」この未知なるもの アレキシス・カレル(ノーベル生理学・医学賞受賞)
 2006年 2月 4日(土) 雪のちくもり
 (親の)本能的愛が、運命に対する知恵によって深められ、隣人の愛とならざる以上は、神に対し、子供に対し、また他人に対して種々のエゴイズムを生むのである。【世の中には子供のエゴイズムを知っていても、親のエゴイズムを知っている人は少ない。親の愛情が本能的な段階に留まっている間は、他人に対して様々なエゴイズムを生む。「自分の子供や家族さえ良ければ」では、子供の成長も阻害される。】・・・・・倉田百三
 2006年 2月 3日(金) 雪
 公共機関は、血税を市民・国民から預かり、市民・国民になり替わって、国民の必要とする公共物を建設するために発注行為を行う。そう考えれば、われわれ建設業者の目の前にいて発注者面して偉そうにしているお役人は、本当は、市民・国民という真の発注者の代行者に過ぎない。なのに、大きな勘違いをして真の発注者を見失ってしまったことで、迷路に入り込んでいる。真のお客様は目に入らず、その代行者だけが見えて、彼らにだけ、媚び、へつらう。そんな産業に堕落してしまった。だから、真の発注者たる、市民・国民に対して逆に平気で無礼を働く。・・・・・山崎裕司「建設崩壊」

 市民・国民に対して目を向けていない産業、そして真に国民の為にならない産業は、見向きもされなく、廃れていく事をなかなか理解できないでいる。
 2006年 2月 2日(木) くもり
 人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになる事ができる人である。相手が少人数でも、あるいは多くの人々であっても、その人たちの気持になりうる人でなければならない。そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩まない人は、他人を動かすことができない。私はそう思っている。自分が悩んだことのない人は、まず、人を動かすことはできない。・・・・・本田宗一郎
 2006年 2月 1日(水) 雨
 不幸はナイフのようなものだ。ナイフの刃をつかむと手を切るが、とってをつかめば役に立つ・・・・・メルブィル(小説家)

2006年 1月


 2006年 1月31日(火) くもり
 団結団結とむやみに集団を作って、その集団へ自己を埋没させてしまい、集団的意志によって思考の自由は無用とされ、多くの人々は独立自由な一個の人格としての思考を放棄して、何事も団体の指導者の指令のみに自己を任せている。多くの個人が新たに精神的に独立し、彼らが囚われている組織団体に対して、権威ある自主的関係を持つことができて初めて人々に自由があるのです。・・・・・安岡正篤『孟子』
 2006年 1月30日(月) くもり
 人間には唯ひとつだけ堪えること不可能な悲哀がある。それは自分が今まで辛さを押して努めてきた苦労がすべて空しかったと思い知らされた瞬間である。普通、いかなるぐうたら者でも、実は何かささやかな望みと誇りにすがって生きている。それあればこそ人間は明日を想って生きていけるのである。しかし我が生涯は空しかったと認めざるを得ない時には救いがない。人間が深く自戒すべき根本の要件は、我が人生を徒労に終わらせるような悲惨に陥らぬための計らいであろう。人は希望によって生き、空しさを痛感したとき息を絶たれる。・・・・・谷沢永一(作家)『人間通』
 2006年 1月29日(日) 晴れ
 人間の言語はその思想の貧弱なる指標である。否、人間の思想そのものも亦(また)心中の神秘なものの貧弱な表明である。何人も自己を説明することが出来ず、また自己は説明されることも出来ない。人々は互いに他の歪んだ幻影を見て、これをその正体と信じている。そしてこれを憎み、これと戦う。実に一切の戦いは誤解と称されている。もっともなことである。・・・・カーライル
 2006年 1月28日(土) 晴れ
 すべてを甘んじて受け入れることである。起きた事は、どんなことであれ、それは私にとって必要で、必然で、良い事だったのだ、とまず受け入れることなのだ。そしてそれらによって得られた事を参考に、より良い将来のあり方を考える。感謝して受け入れる人には、差し障りになることはない。人生に棄物はないし、人生に遅すぎることもないのである。・・・・・安岡正篤
 2006年 1月27日(金) くもり
 人間は本来、瞬間瞬間に爆発しつづけるべきだ。その瞬間にベストを尽くすこと。現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。・・・・・岡本太郎【芸術家)
 手を抜くほうが疲れる・・・・・木村拓哉
 2006年 1月26日(木) くもり
 現代人は、社会の悪を責めたり、他人の責任をとがめたりするが、それは易しいことだ。自己の心術を吟味したり、自己の義務を尽くすことがいかに難しいかを知るべきだ。・・・・・安岡正篤
 2006年 1月25日(水) くもり
 昨日に続き、島津家の家訓(家庭を滅ぼす人)を紹介する。明治・昭和初期の経済人には頭が下がる。特に、11〜15番は常に心掛けねばと・・・・・

『家庭を滅ぼす人。』  島津源蔵(島津製作所初代)・・・・田中耕一(ノーベル賞受賞 富山県人)さんで、有名に。
1.自分の一家と国家との繋がりを知らぬ人。
2.両親及び兄弟を敬はず夫婦和合せぬ人。
3.身分相応を忘れるひと。
4.毎日不平を言うて暮らす人。
5.相互扶助を知らぬ人。
6.嘘を言いわがままを平気でする人。
7.不用の物を買いたがり無駄事に多くの時間をつぶす人。
8.夜更かし朝寝をし実力を養成しない人。
9.失敗したとき勇気を失う人。
10.非礼なことを平気でする人。
11.今日積む徳が明日の出世の因(もと)となることを知らぬ人。
12.先輩を軽んじ後輩に親切を尽くさぬ人。
13.他人の悪口を言い争いを好む人。
14.秩序を守らぬ人。
15.今日一日の無事を感謝せぬ人。
 2006年 1月24日(火) 雪
『事業の邪魔になる人』  島津源蔵(島津製作所初代)・・・・田中耕一(ノーベル賞受賞 富山県人)さんで、有名に。
1.自己の職務に精進することが忠義である事を知らぬ人。
2.共同一致の融和心なき人。
3.長上の教えや他人の忠告を耳にとめぬ人。
4.恩をうけても感謝する心のない人。
5.自分のためのみ思い他人の事を考えぬ人。
6.金銭でなければ動かぬ人。
7.艱難に堪えずして途中で屈服する人。
8.自分の行いについて反省しない人。
9.注意を怠り知識を磨かぬ人。
10.熱心足らず実力なきに威張り外見を飾る人。
11.夫婦睦まじく和合せぬ人。
12.物事の軽重緩急の区別の出来ぬ人。
13.何事を行うにも工夫をせぬ人。
14.国家社会の犠牲となる心掛けのない人。
15.仕事を明日に延ばすひと。
 2006年 1月23日(月) 雪
「写生とは、物をありのままに見ることであります。我々は物をありのままに見ることが、きわめて少ない民族だ。だから日本はだめなんです。」・・・・・正岡子規
 2006年 1月22日(日) くもり時々雪
 人間は、愛と敬から一人前になる。子供は愛されたいという本能的要求と同時に、「敬」する対象を持ちたい、畏敬という自覚はありませんが、本能的要求であります「敬」する対象を持ち、その対象から自分が認められる、励まされる、励まされたいという要求を持っている。愛と同時に敬を欲する。その愛の対象を母に、敬の満足を父に得る。そうしてはじめて人格になる。・・・・・安岡正篤『孟子』
 2006年 1月21日(土) 晴れ
 何を笑うかによって、その人の人柄がわかる・・・・・パコニル
 2006年 1月20日(金) 晴れ
 孟子言う、「君子、つまり人間として人間らしい人と一般の真の意味で自立していない人の違いを言う。徳性のある人はつねに仁(思いやり)と礼節を修めて自分の心をたえず反省している。そして広く人を愛し、よく人を尊敬する。人を愛すれば他人もまた愛してくれるし、尊敬すればまた尊敬される。もちろん、言葉、形だけの見せかけの愛情とか尊敬ではない。慇懃無礼なんかは通じない。命懸けの愛であり畏敬である。今ここに一人の人がおって、無理無道を仕向けてきた。普通の男ならすぐ『何お!』と腹を立てる。しかし、君子、徳を修めた人というのは、そうではない。まず、自分を反省する。
 『彼がそんな事を言うのは、これはきっと自分が無礼なことをしたのであろう。そうでなければ、彼はこんなに無理無道を仕向けるはずはない。』しかし、どう考えても自分に落度はない。にもかかわらず彼は依然としてまた無理を言ったり行ったりする。それでも徳を修めた人はまたも自分を反省する。
 『これはきっと自分の誠意が足りないからなのか』と。
 しかし、いくら反省し誠意を尽くしても、なおかつ依然として無理無道を押し通そうとしたとき、君子は初めて考える。
 『この男はどう見てもむちゃくちゃである。これでは禽獣と何ら変わりない。禽獣とおなじっだとすれば、べつに対抗して非難してもつまらない』
 馬鹿を相手に喧嘩する暇はないと考える。そうすれば、君子に生涯の心配事があったとしても、突然に降りかかる危害はない。生涯の心配事といのはほかでもない。
 『名君・舜も人間なら、自分だって同じ人間だ。ところが、舜は模範を天下に垂れて後世まで伝わるようになっているのに、同じ人間でありながら、自分はつまらない村人に過ぎないのではないか』
 と忸怩たる思いに駆られる。この憂鬱はいったいどうすれば解決できるのか。もう、舜のようになるしか解決の糸口は見つからない。だから、徳を修めた人はほかに心配事がない。なぜなら、舜のように仁にはずれたことはせず、礼にかなわぬことは行わないからだ。たとえ、突然降りかかる無理無道に遭遇することがあったとしても、自分には何らやましいところがないのだから、人生少しも苦にならない」・・・・・孟子(安岡正篤注釈) 
 2006年 1月19日(木) 晴れ
 私は地獄がなければならぬと思います。そのときに、同時に必ずその地獄から免れる道が無くてはならぬと思うのです。それでなくてはこの世界がうそだという気がするのです。この存在が成り立たないという気がするのです。・・・・・・倉田百三
 2006年 1月19日(木) くもり
 企業の利潤、商売の利益というものは、社会に対する貢献度によって決まるものであり、その貢献の度合いによって社会は企業に利潤をもたらす。社会に貢献しない企業は、だから利潤は得られないし、得たとしても、又それは何日も続かない。そしてその企業は社会から消え去ることになる・・・・・飯田亮(セコム創業者)
 2006年 1月18日(水) 晴れ
 物を見・考える三大原則                 ・・・・・安岡正篤
 1.できるだけ長い目で見る。(目先にとらわれない)
 2.できるだけ物を多面的に見る。
 3.根本的に考えて、枝葉末節に走らない。
 2006年 1月17日(火) 雨のち雪
 人というものは誰でもいい人になりたいと思っているの。悪い人になりたいと思わないけれども、皆弱さを持っていて時々その悪い部分が出るんです。その弱さを隠そうとして言葉でよいことを言おうとする。・・・・・佐藤初女(はつめ)森のイスキア主宰
 2006年 1月16日(月) 晴れ
 『一点の素心』(自分以外のことを考える気持ちの余裕)を持っているかどうかが、リーダー選びの基本。・・・・・新美春之(昭和シェル会長)
 2006年 1月15日(日) くもり
1.人は真面目でなければならない。
2.同族が互に力を合わせ、事業経営にあたれ。
3.自ら是と非、善と悪をよく調べて所見を確かめ、参考として他の言を聞け。
4.公益を図ることを事業経営の方針とし、決して私利を求めて他を顧みないということのないように。
5.財の許す限り公共慈善の事業に尽くせ。

6.物事の整理ができない者は大きな事はできない。小さな事でも決しておろそかにしてはならない。
7.実行できない事は、決して口にしてはならい。
8.人は一生涯、奮闘すべきであることを忘れてはならない。

9.飲酒喫煙を慎み、常に衛生に注意せよ。
10.祖先を敬い、孝を尽くせ。       ・・・・・・・・・・・・・・・・藤田伝三郎(明治の関西財界のリーダー)十カ条
 2006年 1月14日(土) 雨
 「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎてサビ付きだめになる方がずっと多い」 「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」・・・・・カーネルサンダース(ケンタッキー創業者)
 2006年 1月13日(金) くもり
 あまりにも簡単に物をポンポン捨てる時代に、それを止めるのは貧しさを知っている年寄りしかいません。無駄だと思っても語り続けていたら、若い世代が老いた時に、気づいてくれるのではないでしょうか。肝心なことをきちんと伝えるということ。些細(ささい)なことかもしれませんが、これが僕にとっての報恩の基本です。・・・・・佐川美代太郎(日本漫画家協会常務理事)
 2006年 1月12日(木) くもり
今年、やって行きたいこと・・・・・・・5つの『あ』   片山浄見会長
 1.あいさつ(明るく)
 2.ありがとう
 3.あたま(頭)を下げること
 4.あやまれるかどうか(間違ったときに)
 5.あたらしい事にチャレンジ出来るかどうか


 人生の目的は行為であって、思想ではない・・・・・カーライル
 2006年 1月11日(水) くもり
たとえ他国へ商内(あきない)に参り候ても、この商内物この国の人一切の人々皆々心よく着申され候様にと、自分の事に思はず、皆人よき様にとおもひ、高利(こうり)望み申さず、とかく天道のめぐみ次第と、ただその行く先の人を大切におもふべく候、それにては心安堵にて、身も息災(そくさい)、仏神の事、常々信心に致され候て、その国々へ入る時に、右の通にこころざしをおこし申さるべく候事、第一に候
他国へ商いに出掛けるときには、その国の人々がみな気分よく、商品を買って使えるように心掛けること。自分のことばかりおもうのではなく、損得は天道の恵み次第だと考えて、高い利益は望まず、その国の人々を大切にすること。こうした心掛けによって、心が安らかになり、健康を得ることができる。常々、神仏を厚く信心するとともに、他国へ入るときには、先ず第一に、以上のことをよく心掛けるようにせよ。】・・・・・中村治兵衛(近江商人)『書置』

 「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の精神 ここで言う他国とは、他の県のことであるが、本当に昔の大商人は立派なものであり、今でも大変参考になる。
 2006年 1月10日(火) くもり時々雪
 一日を顧みて、どこか面白かった、楽しかった、本当に満足だったという所がなければ、その一日は無駄に過ごしたことになる。私にとって、それは神にそむく事であり、よこしまな事なのだ。・・・・・アイゼンハワー(元米大統領)
 2006年 1月 9日(月) 晴れ
「あなたが他人に対して尊敬と思いやり、そして暖かい心を抱いていれば、それは気温や空気の香りのようにまざまざと相手に伝わります。そしてあなたの人間関係は肯定的なものとなります」「より良い聞き手、偉大な聞き手を目指して下さい。これは人を大切にする道です。いや、人を愛する道といったほうが正確かも知れません・・・・・ロバート・コンクリン
 2006年 1月 8日(日) 雪のちくもり
 もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ・・・・・魯迅
 2006年 1月 7日(土) 雪のちくもり
 読書をしない、という人がいますね。私は、素直に言って、読書をしない人は、進歩を放棄した人だと思うんです。もう十分に進歩しすぎて、ピークにいるんだ。これ以上の自分はないので、いささかも読書の必要はないのだ、という慢心の人か、さもなければ、人生は適当にやっておればいいんだ、という無気力の人か、のどちらかです。・・・・・館林三喜男(リコー元社長)
 2006年 1月 6日(金) くもり
 人間的魅力を発揮するためには、理屈ぬきに組織の人々の物心両面を満たしてあげることです。相手のことをもっと知るためにも、日ごろから気配り、心配り、目配りというのが重要になってきます。・・・・・高原慶一朗(ユニ・チャーム会長)
 2006年 1月 5日(木) 雪
 最近(燃え尽きられない)非を他人に転換してはいけないなと思う様になりました。そうなれなかったら、それは自分に何かが足りなかったからだと突き詰めていった方が、さらに自分を伸ばせると考えを改めたからかも。・・・・・中田英寿(サッカー選手)
 2006年 1月 4日(水) 雪
 一人ひとりが自分の仕事をきちっとこなすこと。この個人プレーの連携が、真のチームプレーなのだ。・・・・・松尾雄治(元ラグビー選手)
 2006年 1月 3日(火) 晴れ
 人生という本は最高の本である。 好き勝手にこれを閉じたり また開いたりすることはできない 魅力あるページも二度と読むことはできぬ 運命のページは自ずからめくれてゆき 恋をしているページへもどりたいと思っても 死を迎えたページがすでに指の下にある・・・・・伊藤肇(故人)
 2006年 1月 2日(月) 晴れ
正月は冥途の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし・・・・・・一休禅師
目出度さも中位なり おらが春・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小林一茶
 2006年 1月 1日(日) 晴れ
 何となく 今年はよい事 あるごとし 元旦の朝 晴れて雲なし・・・・・石川啄木
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